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旅たび倶楽部 第24回部録

2015.01.04.17:56

暮れの碑文谷~目黒散策

2014年12月28日(日)  晴れ

 目黒と言えば秋刀魚、他には余りイメージが湧かないようだ。目黒区はどちらかと言えば、地味な地域かも知れない。アッパーミドルの住宅地、でも歩いてみれば、江戸~近代東京の郊外の面影がそこここに見出せた。街中に水源の池や河川跡の緑道などが残っていた。暮も押し詰まった28日、好天にも恵まれ、良い歩き納めとなった。

参加者: 弓 裕美(らかん茶屋から)、柳沢道生、野崎芳信(集合写真順)

集合写真: 目黒・大圓寺、五百羅漢石仏群(都指定文化財)前にて

b1228-0 大圓寺-集合

1.碑文谷公園~サレジオ教会
 11時に東急東横線学芸大学前駅に集合、南西に徒歩5分ほどで碑文谷公園に至る。古来、三谷の池と呼ばれた灌漑用水池と周辺の地が、池の永久保存を条件に昭和7年(1932)東京市に寄贈、翌年碑文谷公園として開園し、昭和25年(1950)目黒区に管理が移管された。池の中央、太鼓橋で繋がる小島に弁財天を祀った厳島神社が鎮座。その木立ちに雪吊り、江戸前風と兼六園で行われるりんご吊り、二つの様式で施されていた。碑文谷池には立会川の水源と思われる水泡、水面にマガモの群れが漂う。
 公園から南に、目黒区みどりの散歩道、碑文谷・立会川コースの表示に沿って歩く。目黒通りを渡り、ダイエーの旗艦店・碑文谷店の横を通ってやや行けば蕎麦処・朝日屋、ここで昼食。手打ちのせいろを手繰り、気付に蕎麦焼酎蕎麦湯割り。
  朝日屋から南西に歩けば行手に尖塔が見える。サレジオ教会、正式名はカトリック碑文谷教会。昭和29年(1954)に落成したロマネスク様式の大聖堂。約36mの鐘塔を有する。宝永5年(1708)来日、小石川切支丹屋敷で没した宣教師・シドッティ師を偲ぶマリア像・悲しみの聖母(江戸のサンタ・マリア)が堂内に置かれ「江戸のサンタ・マリア聖堂」とも呼ばれる。昭和60年(1985)に神田正輝と松田聖子が挙式したことでも知られる。

b1228-1 碑文谷公園

b1228-2 蕎麦-サレジオ教会

2.すずめのお宿緑地公園~立会川緑道
  サレジオ教会から西に、さくら通りを歩く。数分ですずめのお宿緑地公園。碑文谷一帯はかつて竹林が多く、筍の産地として知られた。竹林には多数のスズメが巣を営み、すずめのお宿と呼ばれた。宅地化が進むにつれ、この景観を保存しようと、住民が所有の竹林を寄贈、目黒区が区立公園として整備し、昭和56年(1981)開園。園内北側に茅葺き鋼板覆いの古民家・旧栗山家主屋が移築・保存され、区の文化財に指定されている。
 すずめのお宿緑地公園の南出口の先に樹林が見える。碑文谷八幡宮、鎌倉時代創建と伝わる。境内社・稲荷社には梵字を刻んだ「碑文石」があり、江戸名所図会・新編武蔵風土記に、地名・碑文谷の由来と記されているという。この石は、同社の西方にあった鎌倉街道に埋まっていたと伝わり、室町時代の作と推定されている。 
 八幡宮の参道を東に進むと、道路の中央に桜並木、立会川緑道である。かつて蛍が飛交う清流であった立会川は都市化に伴い昭和39年(1964)に暗渠化された。その一部、碑文谷八幡~東急西小山駅の約1kmが、目黒のみちに措定されている。

b1228-3 すずめのお宿

b1228-4 碑文石-立会川

3.園融寺~清水池公園
 立会川緑道には、辻ごとにかつてあった橋の名称のプレートがある。まず寺前橋、その次が大門橋、ここで北に折れる。すぐに圓融寺の山門が見えてくる。経王山圓融寺、仁壽3年(853)慈覚大師が天台宗・法服寺として創建と伝わる天台宗の寺院。弘安6年(1283)、日蓮宗・法華寺と改宗・改称。江戸時代、不受不施派の拠点として幕府から弾圧され、元禄11年(1698)天台宗に再改宗し、天保5年(1834) 圓融寺に再改称された。室町初期に建立された唐様・入母屋造の釈迦堂は23区内最古の木像建築で国の重文、室町末期建立の仁王門は目黒区の文化財に指定。東側には目黒区立の小学校、碑と書いて「いしぶみ」と読む、佳い名だ。
 圓融寺の東門を出て北東に進むと、再びさくら通りに出る。北東に徒歩数分で左側に清水池公園が見えてくる。立会川の源流の一つ、古くは灌漑に用いられた清水池を中心とする目黒区立の公園。。ここも住民の寄贈で残された。区内で唯一魚釣りができる。ヘラブナの釣れるという。料金は不要だが、キャッチ&リリースがルールとのこと。

b1228-5 圓融寺-清水池

4.羅漢寺川緑道~林試の森公園
 清水池公園からさらに北東に歩き、徒歩数分で路地を北に。目黒本町図書館の先で26号線通りに出る。通りを渡り、やや南西に歩くと左に細い路地がある。羅漢寺川緑道だ。羅漢寺川は目黒川の支流で、流路は林試の森公園の北端に沿う。現在は暗渠化され、左側が目黒区、右側が品川区、緑道は目黒区緑の散歩道・不動コースの一部である。左側の緑ばかりが目立つのはそのゆえか。
 緑道を進むと右手に公園が見えてくる。品川区立小山台公園だ。さらに進めば右手に鬱蒼とした木々が見えてくる。都立林試の森公園である。北門から園内に入る。 明治33年(1900)農商務省目黒試験苗圃として創設され、明治43年(1910)林野庁林業試験場と改称。昭和53年(1978)つくば市に移転、跡地を東京都に売却し都は公園として整備、平成元年(1989)開園。目黒区下目黒と品川区小山台に跨り、面積は約12万㎡、約6700本もの高木があり、幹回り3mを超える樹木も多数ある。園内中央の谷地は、玉川上水の分水・品川用水の名残だ。芝生広場の大くすのきは、当園のシンボルツリー。紅葉の名残の木の下で、ハシブトガラスが落果を啄ばんでいた。

b1228-6 羅漢寺川-小山台公園

b1228-7 林試の森公園

5.五百羅漢寺~目黒不動尊
 林試の森公園東口を出て、東に歩けばほどなく目黒不動尊参道である。28日はお不動さんの縁日。人出が多く、軒先に特売コーナーを設けた店が目につく。途中を左折すればお不動さんだが直進し、年越そばの幟を掲げた老舗・海老民を過ぎ、成就院の先で左折すれば五百羅漢寺に至る。五百羅漢寺、正式名称は天恩山羅漢寺という。元禄8年(1713)本所に創建。開基の松雲元慶が536体の羅漢を造立。安政2年(1855)の大地震で倒壊後衰退し、明治41年(1908)当地に移転。昭和13年(1938)、元芸者お鯉・首相桂太郎の愛妾であった安藤妙照尼が入寺・再興、昭和56年(1981)近代的ビルとなる。305体の羅漢像が残り、展示されている。本堂が好い。羅漢像に囲まれ、流れている法話を聴く。参道脇にはらかん茶屋がある。ここで弓さんと合流する。
 五百羅漢寺のすぐ西側が目黒不動尊・瀧泉寺だ。右手に高い塀の続く近道を抜けると楼門、門前には露店が出ている。泰叡山瀧泉寺、大同3年(808)創建と伝わる天台宗の寺院。本尊は不動明王、江戸五色不動の一つ、地名・目黒の由来。山手七福神の恵比寿天。境内に独鈷(どっこ)の滝があり目黒台湧水群の中で最大の湧水量がある。独鈷とは密教の法具、開山・円仁大師が独鈷を投じたところ、泉が湧出したと伝わる。現在は龍の頭から池に湧出し、水垢離の道場が隣接。池の前に不動像があり、水を掛ければ願が成就するという。石段上の本堂へお参り、さらに裏手の大日如来坐像に参詣。
 瀧泉寺の北口から、不動公園前の小路を東に進み、階段を下りれば北側に瀧泉寺墓地がある。その一角に国の史跡・青木昆陽の墓がある。江戸中期の蘭学者・愛称甘藷先生、サツマイモの普及者として名高い。

b1228-8 参道-羅漢寺

b1228-9 目黒不動

6. 蟠龍寺~大鳥神社
 小路を下れば山手通りに出る。通りの両側にはビルが並び、今までとはうって変わって大都会の風景。山手通りを北に数分歩けば、左手に霊雲山蟠龍寺という浄土宗の寺院がある。参道を進み本堂の裏に回れば岩窟がある。内には石造弁財天が祀られ、その脇に弁天堂があり、木造弁財天が祀られている。こちらは年の瀬とて、大掃除の最中であった。山手七福神の弁財天である、合掌。
 再び山手通りを北上、数分で左に大聖院。その先、山手通りと目黒通りの交差点西側に大鳥神社がある。大同元年(806)創建と伝わる区内最古の神社。古江戸九社の一社、目黒村の総鎮守であった。境内には、オオアカガシの老木・都の天然記念物や三猿の延宝塔、元禄時代(1688-1703)や宝永年間(1704-1710)の屋根付庚申塔など5基の石造物、俗に切支丹燈籠といわれる織部式燈籠や、天保6年(1835)の酉の市に神楽を奉納した記念碑などもある。現在も、11月に酉の市が開催される。

b1228-10 弁天-大鳥神社

7.大圓寺~行人坂教会~中華薬膳料理・華
 目黒通りを東に進む。両側は権之助坂に続く商店街。歳末セールで賑わう。すぐに目黒川、目黒新橋である。両岸には桜並木が続く。川の西側を南下、行く手に見えるは太鼓橋。その先には目黒雅叙園アルコタワーの高層ビルがそびえる。太鼓橋は明和6年(1769)に架橋、当時は珍しい石造太鼓橋、広重の江戸名所百景にも描かれ、その案内板が東詰にある。橋を渡れば目黒駅へと続く行人坂、その途中右手に大圓寺がある。
 松林山大圓寺、天台宗の寺院。寛永年間(1624-44)創建と伝わる。明和9年(1772)に発生した江戸三大火災の一つ・行人坂大火の火元であり、嘉永元年(1848)まで再建が認められなかった。境内の大火犠牲者を弔う五百羅漢像は都の文化財。ここで集合写真。山手七福神の大黒天。門前の行人坂は、大圓寺に住まった湯殿山の行者が開削した。権之助坂よりも古く、二子道の一部として江戸と東南近郊を結ぶ要路であった。
 大圓寺から少し戻り、権之助坂に至る路地を歩く。左手に教会がある。日本基督教団行人坂教会、明治36年(1903)京橋に日本組合京橋基督教会として創建、関東大震災後当地に移転した。権之助坂に出て、坂をやや下る。左手に華の看板。目黒の中華の名門・目黒菜館の姉妹店。中国人シェフによる中華薬膳火鍋専門店である。ホール係りも小姐。ここでささやかな忘年会を開催。メインに火鍋をオーダー。太麺状の乾豆腐の意外な食感は感動ものであった。

b1228-11 目黒川-アルコタワー

b1228-12 行人坂教会-火鍋

所感
 サラリーマン時代、サレジオ教会の南側に日本オリベッティの本社があり、仕事で何度か訪れた。目黒駅から都バスを利用、さくら通りの満開桜並木を見たとき、とても得した気分になったことを思い出す。すずめのお宿緑地公園へは古民家を観に訪問、サレジオ教会から徒歩数分と知ったのは後のことである。この緑地公園も、碑文谷公園も、清水池公園も、都市化が進む中、自然を残そうと地域の人たちが土地を寄贈した。お蔭で、住宅地の真ん中に河川の水源が維持されている。素晴らしいことである。
 このコースのもう一つの売りは、徒歩で千羅漢を巡れることだ。五百羅漢寺と大圓寺の五百羅漢。五百羅漢寺の羅漢像は正確にいえば305体だが、その肉感的な像は迫力があった。大圓寺の羅漢像は整然と並んだ様式美を感じる。五百羅漢は各所にあるが、様式の異なる2ヵ所隣接はまれだ 。しかも現代都市空間の中に。      (幹事・柳沢記)








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ケノーベルからリンクのご案内(2015/01/05 08:50)

2015.01.05.08:51

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