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旅たび倶楽部 第63回部録

2019.02.23.10:11

安中市の史跡と古墳群を巡る

2019年2月20日(水) 晴れ  

 今回の訪問地は、碓氷峠の東側にあたり、古来、信州と関東平野を結んだ交通路の要衝であった。いわば、戦略的な土地柄であり、軍事・文化・商工業にまつわる遺構も多い。このコースの面白味は、各所で多彩な時代の史跡が重層的に見られることだろう。古墳の観点からは、巨大古墳こそ見られぬものの、簗瀬二子塚周辺の史跡群、新島襄旧宅内の古墳、古墳と江戸時代の史跡が町内に点在する安中市内中心部など、興味深い見所は多い。

参加者: 柳沢道生、野崎芳信

集合写真:  簗瀬二子塚古墳にて 

b0220-0 集合


1.信越線磯部駅~信照寺
 朝9時1分、大宮駅発高崎線快速アーバンに乗車、10時12分高崎駅着。10時22分高崎駅発、信越線普通電車に乗る。本来はこの電車の先頭車両で集合の予定であったが、大宮駅で発車待ちをしているアーバンの車窓から、たまたまホームを通りかかった野崎さんを発見、という幸運なハプニングがあった。
 信越線電車の車窓から遠望した、雪の浅間山が美しい。10時41分に磯部駅着、下車する。駅前広場の先のアーケードに「歓迎・磯部温泉」の文字。
 我々は温泉街とは逆方向の、駅の東へ。数分歩くくと真言宗の寺院、信照寺がある。慶長年間(1596-1615)、当地を所領していた下曽根信正が父の菩提寺として創建したと伝わる。門前に古い石碑が並ぶ。一際大きい百番塔は、西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の巡礼達成を記念して造立された碑。江戸後期より東国を中心に広まったという。

b0220-0B 磯部駅

b0220-0C 信照寺

2. 磯部古墳群
 信照寺から北に数分歩くと磯部交差点、ここから県道46号を東に向かう。徒歩7~8分、最初の信号を右折するとフェンスに囲まれた円墳が見える。径約30m、安中市西部磯部地区、碓氷川と柳瀬川の間の丘陵に分布する磯部古墳群の西端に所在している。築造年代はいずれも不詳である。そのすぐ東側に径約15mの円墳・西浦古墳がある。墳丘には古い石祠と石碑が残る。
 集落内の道を東に数分歩けば古い墓地がある。墓地の奥が隆起している。径約15mの円墳・寺前東古墳である。遠目には墓地と一体化している。
 さらに集落内を東に進み、左折すれば中磯部住民センターがある。構内の独立樹に案内板があった。市の天然記念物・磯部神明宮のヒイラギとある。推定樹木250年超、かつて当地に鎮座していた神明宮の神木であったとも伝わる。その背後に径約20mの円墳・神明北古墳がある。その傍らには道祖神など古い石碑が並び、ささやかな史跡公園を形成している。
 住民センター北側にある磯部小学校東側を北進すれば県道48号に出る。西に数分歩くと松岸寺への参道がある。松岸寺の山号は磯明山、曹洞宗、天歴6年(952)創建と伝わる。お参りし、門前の道を東進し、北上すれば碓氷川に架かる、やなせ大橋に出る。碓氷川はかなり深い渓谷を形成している。

b0220-1 磯部9号墳-西浦古墳
 
b0220-2 寺前古墳-ヒイラギ

b0220-3 神明北古墳-松岸寺
 
3. 簗瀬二子塚古墳周辺
 やなせ大橋から北上する緩い坂を上ると、左手に草で覆われた丘が見えてくる。簗瀬二子塚古墳である。さらに進むと右側に簗瀬二子塚古墳ガイダンス棟がある。古墳見学前に立ち寄る。簗瀬二子塚古墳は碓氷川中流の右岸段丘に築かれた全長約80mの前方後円墳、築造時期は6世紀初頭と推定されている。明治12年(1879)、所有者であった小森谷家により、学術調査が行われ、石室の発見とともに多くの出土品を得た。これらは小森谷家の家宝として継承され、市の文化財に指定されている。かつて、墳丘は深い森であったが、現状は古墳公園として整備され、国の史跡に指定されている。
 古墳公園へ。前方後円墳の形状がよく分かる、バランスのとれた美しいフォルムだ。全容が見渡せる案内板の前にて集合写真。後円部の横側に石室開口部があったが、ガラスが曇って内部は窺えない。後円部の墳頂へ。北側に見える雪の浅間山の山容、前方部の延長線上には妙義山、眺望も素晴しい。
 古墳公園の南西隅に社がある。案内板に簗瀬八幡平首塚とある。径約21mの円墳、6世紀後半築造と推定。昭和6年(1931)、中世の頭骸骨約150体が出土した。永禄4~7年(1561-64)、上州に侵攻した武田信玄と地元の領主・安中氏との合戦があった。だが、関連を示す史料は無いという。首塚の西方、徒歩5分ほどの所に、武田軍が安中氏の拠点、安中城と松井田城分断のため築いた八幡平陣城跡がある。碓氷川段丘上の林の中、遺構は何も残っていない。
 古墳公園に戻る。東側に真下明神の社がある。その基盤は簗瀬二子塚古墳の陪塚・円墳との見方もあるという。ここも気になる個所である。

b0220-4 二子山古墳G棟-妙義山
 
b0220-5 浅間山-首塚

b0220-6 陣城跡-真下明神

4.箕輪城跡~原市
 簗瀬二子塚古墳ガイダンス棟北側の道を東に進む。4~5分で前方に森が見えてくる。城山稲荷神社である。境内への通路の脇に箕輪城跡の標柱がある。当地には碓氷川の渡河点確保のため、安中氏により箕輪城が築かれた、社殿後方の土塁はその遺構だ。城山稲荷が遷座されたのは文化年間(1804-18)のことである。本殿はその時期に。拝殿は文政6年(1823)に建立された。
 城山稲荷神社から北東に数分歩けば県道48号に出る。北上すると原市交差点、その西南側にある商業施設駐車場の南側に旧碓氷社事務所がある。明治時代、生糸が基幹産業であった頃に結成された、上州の生糸産業を代表した、座繰り製糸の組合で、輸出に耐える品質の生糸を生産した。明治38年(1905)築,木造二階建建築。県の文化財に指定されている。
 商業施設北側の国道18号を西に進めば碓氷病院入口交差点、ここを北上した最初の信号で旧中山道と交わる。原市は中山道安中宿と松井田宿の中間にあたり、立場・休憩所や高札場もあったという。旧中山道を西に少し行けば、ラーメン店「あってりめん」がある。主人はTV番組・北野印度商会出身、有名店のようだ。麺が売り物とのことで、油まぜソバを頼んだ。太目の麺が旨い。

b0220-7 城山稲荷-箕輪城跡

b0220-8 旧碓氷社-旧中山道

b0220-9 あってりめん

5. 小林良曹アトリエ館~新島襄旧宅
 先程の道に戻り北上すれば碓氷病院がある。碓氷病院前バス停からアークバスに乗り、旧中山道を東進し7~8分、安中消防署前で下車する。消防署東側の道を南下し徒歩3分ほど、前方に茅葺き民家が見えてくる。行って見れば「小林良曹アトリエ館」の案内板があった。小林良曹(1910-99)は安中市出身の洋画家。息子さんが良曹のアトリエであった土蔵を展示室に改装し、冬期を除く金・土・日曜日に開館している。茅葺き民家は小林家の主屋である。
 東に3分ほど歩くと新島襄旧宅がある。同志社の創設者・新島襄(1843-90)は安中藩士の子息として神田の安中藩江戸上屋敷で生誕、茅葺き主屋の旧宅は父母の郷里の住まいであった。庭に回れば何と円墳がある。安中6号墳、規模・築造年代とも不詳だが、石室が露出し、奥には稲荷社の小祠が祀られている。墳丘や周囲には多くの文学碑・石碑がある。その一つ、「漆園の記碑」は安中藩主板倉勝明が安政3年(1856)に百万本の漆の苗木を植え、その利益配分を刻した碑。新島城旧宅と漆園の記碑は市の史跡に指定されている。
 
b0220-10 小林良曽アトリエ館
 
b0220-11 新島旧邸①
 
b0220-12 新島旧邸②

6. 愛宕神社~大名小路
 安中消防署前に戻り、旧中山道を東進する。徒歩数分、北側に愛宕神社が鎮座している。元禄年間(1688-1714)創建、火防守護の神として崇敬されてきた。社殿は愛宕山古墳上に建立されている。古墳は50m程の規模と推定されるが、石段や石垣などの造営で改変が著しく、形状・築造年代とも不詳である。
 愛宕神社の前、旧中山道の一本北側の道を東に歩く。4~5分歩くと前方に煙突が見えてくる。天保3年(1832)創業の天然醤油醸造業・有田屋のシンボル、赤煉瓦の煙突である。この道の右側が店舗、左側が工場である。有田屋の経営者・湯浅一族は明治以降、教育・政治・文化に貢献した人材を輩出した。
 さらに東に進む。左手は旧安中高校、その東端で一本北の道に入り、東に進めば前方に塚の上の赤い社が見えてくる。安中4号墳、規模・形状不詳だが、近づいて見れば社の下に石室開口部と推定される穴がある。社は稲荷社である。
 塚の東側は長徳寺の墓地。その北側の路地を道なりに歩けば、通りに出る。その東方向に茅葺き建築が見える。旧安中藩武家長屋、江戸末期築と推定、中下級武士が居住した茅葺き四軒長屋。市の文化財に指定。その東側、交差点の先にもう一棟の茅葺き建築がある。旧安中藩郡奉行役宅、藩内の民政を担った上級武士・郡奉行の役宅を、古文書に基づき平成6年(1994)に復元した。茅葺き曲屋様式。市の文化財に指定されている。
 通りをまたまた東に。付近の案内板によれば、この通りの愛称は大名小路という。この北側一帯に安中城があったとある。現在、大名小路の北側には、安中小学校があり、その校門前に安中城跡の石碑が立っている。

b0220-13 愛宕神社-煙突
 
b0220-13B 安中町4号墳-長屋

b0220-14 奉行役宅-城跡碑

7.安中教会~安中駅
 安中小学校の東側、大名小路の両側に安中教会がある。敷地北側の礼拝堂・新島襄記念堂は、新島襄没後30周年を記念し大正9年(1920)竣工、ゴシック様式大谷石造鐘塔付教会建築。敷地南側の、同年築の温古亭、昭和10年(1935)築の義圓亭、昭和29年(1954)築の牧師館などとともに国の有形文化財に登録されている。
 安中教会の東側に旧碓氷郡役所がある。 明治41年(1902)築、木造平屋建寄棟造瓦葺き。大正15年(1920)郡制廃止に伴い碓氷郡議会などに転用。県内に残る唯一の郡役所建築、現状は資料館として公開。市の文化財に指定されている。
 旧碓氷郡役所から南下し旧中山道に出る。この界隈に中山道六十九次、江戸日本橋から15番目の宿場町・安中宿の本陣があった。東に歩けば伝馬町バス停、ここからアークバスに乗り、5~6分で終点の安中駅に着く。
 ホームに入り、16時17分発の信越線高崎行電車を待つ。南側の斜面には東邦亜鉛㈱安中製錬所がある。駅構内の側線には近年珍しくなった同社専用線のディーゼル機関車や同社私有貨車が留置されていた。気が付けばホームは家路に着く高校生だらけとなっていた。程なく高崎行の電車が入線してきた。高校生専用電車みたいな雰囲気の車内だったが、我々も家路に向かった。

b0220-15 教会-郡役所
 
b0220-16 安中駅

所 感
 元々、この行程は1月16日に予定していた。あいにく、当日は小生が風邪気味で、インフルエンザ流行が報じられていたこともあり、大事をとって2月に延期していただいた。当日は、今年最高の20度近くの気温が予報され、実質的な初歩きに、防寒ならぬ防暑対策を講ずる異例の展開となった。実際には、昼頃に上着とセーターを脱いだものの、午後からは程良い陽気となった。
 安中市は以前、茅葺き建築巡りを目的に、訪れたことがある。今回、古墳という観点で再訪した印象は遥かに深いものであった。中でも、旧安中藩武家長屋や旧安中藩郡奉行役宅の周囲の掲げられていた「サムライマラソン」の青い旗、安中藩の故事に基づいた映画だという。史跡が、過去の分断された点ではなく、連綿とした流れの一節であることを、改めて認識した。    (幹事・柳沢記)





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