FC2ブログ

旅たび倶楽部 第55回部録

2018.03.23.21:31

さいたま市西部の古墳群を巡る

2018年3月20日(火) 小雨後曇り  

 今回は、さいたま市西部の古墳群を巡った。最初にJR川越製西大宮駅東側、西区指扇(さしおうぎ)に所在する県指定史跡・方墳大塚古墳へ。見学後、川越線で大宮駅に戻り、駅前で昼食。その後、バスで西区佐知川(さぢがわ)へ。
 荒川水系の一級河川・鴨川、さいたま市内の大半は、旧入間川の流路を流れる。鴨川の流域には古墳群が点在している。西区佐知川に分布する植水古墳群をスタートに、その南・大宮区三橋(みはし)に分布する側ヶ谷戸(そばがいと)古墳群、その南・桜区白鍬(しらくわ)に分布する白鍬古墳群、その南・桜区塚本に分布する大久保古墳群という順路でこれらの古墳群を巡った。旧大宮市西部~旧浦和市西部を北から南に歩いた。大半の古墳が市の史跡に指定されている。
 このコースは、100m級の大型古墳はないが、散策に適した間隔で古墳が点在し、各古墳の様々な表情が窺え、誠に興味深かった。

参加者:  野崎芳信、柳沢道生 

集合写真:  さいたま市大宮区三橋  大宮西高校校庭 稲荷塚古墳

b0320-0 稲荷塚古墳-集合

1. 西大宮駅~大宮駅
 朝11時、川越線西大宮駅に集合する。この駅は川越線では最も新しく、平成21年(2009)に開業した。駅北口を出て北に徒歩数分、右折しマルエツ西大宮駅前店の南側を東に進めば、方墳大塚古墳が見えてくる。駅からは5分ほどだ。
 方墳大塚古墳は辺約21x25m、築造年代不詳の方墳で、県の史跡に指定されている。ユニークな古墳名は、秩父郡皆野町に所在する県指定史跡・円墳大塚古墳との区別のためだという。案内板には埼玉県、(旧)大宮市の教育委員会とともに個人名(所有者)が記されている。ここは私有地なのだ。
 来た道の1本南を駅に向かう。小公園・西大宮1丁目第一公園の南西端に、簡易な屋根で覆われた道祖神があった。案内板は無い。石像の前にはコップの水が供えられていた。今も信仰が息づいているのだろう。
 西大宮駅に戻り、川越線の電車で大宮駅に向かう。西口北側にある商業施設・DOMのグルメプラザへ。開店していた大宮豚骨ラーメン 一番軒で昼食。麺は中華麺・博多麺をチョイス、茹で加減も硬め・普通・軟らかめを指定できる。

b0320-1 西大宮駅-方墳大塚

b0320-2 道祖神-一番軒

2. 原稲荷古墳~彩の国 音かおりの里
 大宮駅西口から西武バス・佐知川原(さぢがわ はら)行に乗り十数分、終点で下車。バス停から南下し、最初の信号を東進すれば鳥居がある。原稲荷神社である。嘉元3年(1305) 京の歌人が当地で没し、その亡骸を崇め創建したとも伝わる。社殿は原稲荷古墳の上に鎮座している。大宮区佐知川地区の台地上に分布する植水古墳群に属する径約40m・最大の円墳で、6世紀半ば築造と推定される。社殿造営に伴い削平されたのか、正面からは古墳の高さが分かりにくいが、社殿裏に回って見れば円墳の形状が見てとれる。
 先ほどの道をさらに東へ5~6分歩くと天台宗の寺院・慈眼寺がある。山号は普光山、旧大宮市内最古の寺院で、天長3年(826)蓮華寺として創建と伝わる。徳川家康の関東入国に際し、寺領十石の朱印状を拝領。慈眼大師天海大僧正の弟子円海上人が中興、現寺号に改称した。境内は広く、本堂周辺と観音堂周辺の二区画に分かれる。観音堂には大宮水波田(みずはた)観音を安置、観音霊場として古くから地元の信仰を集めてきた。観音堂南側には豪壮な仁王門がある。関東百八地蔵霊場4番、足立坂東観音霊場32番である。
 仁王門の東に水判土(みずはた)交差点がある。変則六差路、南東の路地を進めば数分で荒川の支流・鴨川に出る。橋を渡りさらに進めば鴨川の左岸に設置された公園・彩の国 音かおりの里がある。近隣住民の憩いの場であり、避難場所・鴨川みずべの里として防災施設の側面もあるようだ。

b0320-3 原稲荷-慈眼寺観音堂

b0320-4 慈眼寺楼門-彩の国

3. 稲荷塚古墳~上之稲荷古墳
 彩の国 音かおりの里から東に歩くとすぐに大宮西高校の広い敷地があり、その校庭南側に稲荷塚古墳がある。大宮区三橋地区、鴨川の左岸に16基の古墳が分布する側ヶ谷戸古墳群に属する径36mの円墳で、6世紀後半造と推定。敷地の東側、正門に行く。「関係者外立入禁止」などの表示はなく、古墳への小路入口に案内板が立っている、これは有難い。木立の向こうに円墳が見える。思いのほか大きい。市内最大級の円墳で、市の史跡に指定されている。行って見れば、立派な石板に案内文が刻されていた。ここで集合写真を撮る。
 大宮西高校の南側西端から南下し、5分ほど歩くと茶臼塚古墳がある。これも側ヶ谷戸古墳群に属する径30mの円墳、6世紀後半~7世紀の築造と推定、市の史跡に指定。南脇に明和6年(1769)、文化9年(1812)の銘がある、当地の古称・旧側海斗(そばがいと)村にあった石橋の石材が保存・展示されている。
 茶臼塚古墳の南側の道を東に5~6分歩き、やや南下した東側、住宅地の中に上之稲荷古墳がある。側ヶ谷戸古墳群に属する径20mの円墳、築造年代不詳、墳頂に上之稲荷の祠が置かれ、市の史跡に指定されている。

b0320-5 稲荷塚-茶臼塚

b0320-6 石橋石材-上之稲荷

4. 台耕地稲荷塚古墳~白鍬塚山古墳
 上之稲荷古墳から西に数分歩くとバス通りに出る。それを南下すると「元祖 ねぎみそ煎餅」の看板、「お彼岸特売中」の貼り紙もある。片岡食品㈱という和菓子屋さん。入ってお土産を購入し、サービスの梅昆布茶で一服する。
 さらに南下し、突き当りの丁字路の脇の路地に入ると、その先に台(だい)耕地稲荷塚古墳がある。側ヶ谷戸古墳群に属する径30mの円墳、7世紀前半の築造と推定。墳頂に台耕地稲荷社の祠が置かれ、市の史跡に指定されている。
 台耕地稲荷塚古墳の西側、鴨川左岸沿いの歩道を南下、数分歩き住宅地内の道を南下すれば、左手に白鍬保育園が見える。その川側の道路脇に、かね山古墳がある。側ヶ谷戸古墳群の南方、鴨川左岸に分布する白鍬古墳群に属する円墳で、元々径約40mの規模であったが、宅地造成などでかなり削られている。6世紀後半の築造と推定、市の史跡に指定されている。
 そこからさらに南下し徒歩数分、住宅地内の駐車場の先に権現塚古墳がある。白鍬古墳群に属する径約10mの円墳、7世紀頃の築造と推定。個人の宅地内にあり、墳頂には蔵王権現の祠が置かれ、市の史跡指定されている。
 南下を続け徒歩5~6分、右手の集合住宅・サンハイツの脇に入ると白鍬塚山古墳がある。白鍬古墳群に属する円墳で、元々径約30~40mの規模であったと推定されるが、現状は四方を住宅に囲まれ、大分縮小されている。5世紀後半の築造と推定、市の史跡に指定されている。

b0320-7 台耕地稲荷-かね山

b0320-8 権現塚-白鍬塚山

5. 大久保神社~観音寺
 白鍬塚山古墳から南下し数分歩くと右手に鴨川に架かる在家橋がある。橋を渡って数分、左折・南下すると大久保神社がある。創建年代は不詳だが、応安2年(1369)の記録に残る古社。元禄7年(1694)以降、新田開発に伴い当地に遷座。江戸期には八幡社と呼ばれ、当地の古称・宿村の鎮守として崇敬された。本殿、豊栄社本殿、稲荷社本殿は市の文化財に指定、境内林・大久保神社社叢は市の天然記念物に指定されている。境内北側の桜は五分以上開花していた。彼岸桜か、と思い戻って調べて見たら、どうやら寒緋桜のようだ。
 大久保神社から南下し徒歩数分、西に数分歩けば北側に観音寺への参道がある。海潮山観音寺、浄土宗の寺院である。慶長10年(1605)創建。徳川家光より寺領八石の御朱印状を拝領した。江戸末期建立、元茅葺き・現桟瓦葺きの四脚門、安永7年(1778)建立、茅葺き方三間方形造の観音堂は、室町時代作の秘仏・木造聖観音菩薩立像とともに、市の文化財に指定されている。

b0320-9 大久保神社

b0320-10 観音寺

6.塚山古墳 ~浦和駅
 観音寺から南下し7~8分、南西に7~8分歩くと左手に塚山古墳が見えてくる。白鍬古墳群の南方、鴨川右岸に分布する大久保古墳群の主墳である。塚本塚山古墳とも通称される。従来、前方後円墳と推定されてきたが、前方部墳丘はすでに消滅、残存する後部墳丘は方形と見られ、4世紀中葉築造の前方後方墳説が有力となった。元々の全長は約60mと推定されるが、現状約35m、市の史跡に指定。私有地の屋敷林内に所在しており接近は難しい。
 そこから道なりに南西に進む。5分ほど歩くと右手の住宅西側の屋敷林内に、神明寺(しんめいじ)古墳が見えてくる。大久保古墳群に属する径約10mの円墳、6世紀後半の築造と推定。市の史跡に指定されている。
 神明寺古墳の西側、水路沿いの道を北上、丁字路で突き当り東側の道をまた北上すれば左手に稲荷社が見える。上之稲荷古墳、台耕地稲荷塚古墳などの墳頂に置かれた祠と雰囲気が似ている。そう思って見れば北側に塚とも見える緑の塊り。円墳か、と戻ってから調べたが、未だ解明できていない。
 そこからまた北上、バス通りの大久保浄水場東南端近く、やつしまニュータウン・バス停へ。国際興業バス・浦和駅西口行に乗り30分余、終点で下車。浦和駅西口南側の大衆中華料理チェーン店・来来軒で夕食、本日の締とした。

b0320-11 塚山-神明寺

b0320-12 円墳候補-来々軒

所 感
 今年の東京のソメイヨシノは3月17日(土)に開花が確認された。平年より9日早く、昨年より4日早いという。春の到来は早いのかと思えば、散策日の気温こそ平年並みであったものの、翌日・春分の日は時ならぬ豪雪に見舞われ、各地で事故や遭難が相次いだ。たった一日の違いであった。
 今回巡った古墳群の殆どが、いわゆる街中古墳で、中には庭先古墳もあった。私有地内の古墳の維持には様々な課題があるだろうが、何とか残してほしいものだ。行政の役割も重要だ。秀逸だったのは、大宮西高校の取組みである。今まで見てきた校内古墳では最大の規模であったが、校内の見学路や立派な案内板が整備されていたことが印象に残った。           (幹事・柳沢記)









 
スポンサーサイト



プロフィール

旅たび人

Author:旅たび人
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR