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旅たび倶楽部 第52回部録

2017.11.24.17:37

高崎市南部 倉賀野宿遺構と倉賀野~山名の古墳群を巡る

2017年11月20日(月) 曇り

 今回は高崎市南部、中山道の宿場町で江戸時代は利根川水系・烏川水運との結節点としても栄えた倉賀野地区の遺構と、町の西側に広がる倉賀野古墳群、謡曲
・鉢の木の舞台となった佐野地区の史跡と古墳、上信電鉄沿線の山名地区の古墳群などを巡った。最後に訪れた山上(やまのうえ)碑は、最近ユネスコ・世界記憶遺産に登された上野(こうずけ)三碑の一つとして、脚光を浴びている。

参加者:  柳沢道生、野崎芳信 

集合写真:  高崎市倉賀野町、浅間山古墳にて

b1120-0 浅間山古墳-集合

1. 倉賀野の古刹
 朝11時、高崎線倉賀野駅に集合。南口から徒歩3分、倉賀野山養報寺へ。至徳3年(1386)に創建された真言宗の寺院である。境内には鎌倉末期作の石仏5体、明治~大正期の俳人・村上鬼城の句碑があり、ともに市の文化財に指定されている。本堂南側の山門は天正4年(1576)、時の倉賀野城主・金井淡路守が城の鬼門除けに建立したという。山門から東~南に歩くと九品寺がある。
 山号は一行山、浄土宗の寺院だ。延徳3年(1491)、当地の領主・倉賀野五郎行信が創建した。養報寺に次ぐ古刹だ。墓地には倉賀野宿の旅籠の飯盛り女や行き倒れた旅人などを葬った無縁仏があるとのことだが、案内板は見当たらない。点在する石仏や古い墓標がそれを偲ばせる。

b1120-1 倉賀野宿①

2. 倉賀野宿遺構
 九品寺の南は中山道、すぐ先のスーパー・ベイシアマートの駐車場の一隅に石碑がある。倉賀野宿本陣跡の碑だ。倉賀野宿は中山道六十九次、江戸から12番目の宿場で、日光例幣使街道の分岐点でもある。江戸後期には本陣1軒、脇本陣2軒、船問屋9軒、旅籠32軒、民家約300戸、人口約2千人であった。中山道を西に歩く。すぐに倉賀野駅入口交差点、南側には馬継立場跡碑がある。
 さらに東に進めば北側に白壁の建物、倉賀野宿脇本陣を務めた須賀家の家屋である。その南側、群馬銀行倉賀野支店付近に脇本陣跡の碑がある。須賀家西側には高札場のレプリカが展示されている。南に進めば烏川に出る。
 倉賀野の烏川河岸は利根川水系水運の最北端の河岸で、倉賀野は水運・陸運の物流拠点としても栄えた。東にやや行けば井戸八幡宮がある。正保3年(1646)、倉賀野城、三の廓跡の古井戸から一夜にして水が吹き出し、八幡大神が現われたのが起源と伝わる。境内には寒桜が咲いていた。犬の散歩途中の地元のおじさんの案内で社殿の東側へ。そこには伝説の井戸が現存し、神輿の保管庫を兼ねた覆屋で保護されていた。井戸八幡宮の西側には雁公園がある。南北朝時代に築城された倉賀野城本丸跡で園内には倉賀野城跡の石碑が立っている。

b1120-2 倉賀野宿②

b1120-3 倉賀野宿③

3.倉賀野神社~安楽寺
 雁公園から北進し、西に折れれば倉賀野神社がある。社伝によれば第十代崇神天皇48年、皇子の豊城入彦命は東国の平定を命ぜられ、当地に布陣し霊石・亀石を御霊代として祀ったことが創建という。上野国神名帳に大国玉明神と記され、後に飯玉大明神とも呼ばれ、明治10年(1877)大国魂神社に、明治43年(1910)現社名に改称した。倉賀野宿と近隣の七ヶ郷の総鎮守である。境内には近隣の小学生が奉仕する、小さな神饌田(しんせんでん)があり、立看板には10月11日に抜穂祭(ぬいほさい)・稲刈りの儀が行われた、とあった。
 倉賀野神社から北に歩けば中山道、そこを西に進めば北側に安楽寺がある。山号は山名山、天台宗の寺院である。市内の山名地区・山上に山名氏の菩提寺として創建され、中世に当地に移転したと伝わる。境内には安楽寺古墳がある。径約30mの円墳、7世紀末の築造と推定される。本堂は古墳の墳丘に食込む様に建立されている。古墳の石室の壁に掘られた七体の薬師像、通称・穴薬師が当寺の本尊で、12年に一度、巳年の4月8日のみご開帳される。

b1120-4 倉賀野神社-安楽寺

4. 倉賀野古墳群
 安楽寺から南下し、南西に進めば大きな古墳が見えてくる。倉賀野古墳群に属する大鶴巻古墳、全長約125mの前方後円墳。5世紀前半の築造と推定される。前方部は草地、後円部には林とコントラストが好い。幅広い周濠も地形から見てとれる。国の史跡に指定されている。倉賀野古墳群は烏川の支流・粕沢川左岸の微高地に分布しており、安楽寺古墳もこの古墳群に属している。
 大鶴巻古墳から南下すれば粕沢川、川沿いにさらに南下し、林の中を西進すると徒歩数分で森が見える。これが大山古墳、粕沢川右岸に分布する佐野古墳群に属する径約56mの円墳である。6世紀後半の築造と推定される。
 大鶴巻古墳に戻り、北上すれば小鶴巻古墳がある。倉賀野古墳群に属する全長約88mの前方後円墳。5世紀前半の築造と推定される。くびれ部は墓地となっていた。木々で覆われ、墳丘の形状は分かりにくい。
 小鶴巻古墳から住宅地の中を北に進めば中山道に出る。中山道沿いにあるスーパー・フレッセイ西側の小路を西に行くと、目の前に浅間山古墳が見えてくる。倉賀野古墳群の主墳、全長約172mの前方後円墳。群馬県内第2位、築造当時は東日本最大規模、4世紀末~5世紀初頭の築造と推定される。国の史跡に指定されている。ここで集合写真。墳丘に登り、後円部、高さ14mからの眺望を楽しむ。

b1120-5 大鶴巻-大山古墳

b1120-6 小鶴巻-浅間山古墳

5. 倉賀野町正六~佐野町
 中山道に戻り、倉賀野町正六交差点東側、ガストに隣接したしゃぶ葉・倉賀野店で昼食。ランチタイムでも、しゃぶしゃぶ食い放題が売りの店だが、この状況で食い放題はやや重い。三元豚(ロース・バラ)3皿+野菜食い放題セットとドリンクバーを注文。隣ではガッツリ系のカップルが肉の皿を積み上げていた。
 倉賀野町正六バス停から、市内循環バス・ぐるりん・岩鼻線に乗り数分、上佐野町寺前バス停で下車。西に徒歩数分、神明山西光寺に向う。創建は慶長2年(1597)。明治2年(1869)に発生した農民一揆・年貢減免運動・高崎五万石騒動の舞台となった。境内にはその石碑があるというが、探索するも見当たらず。
 西光寺から南下すれば前方に上越新幹線の高架が見えてくる。高架の手前、左手に墳丘が見える。漆山古墳、佐野古墳群に属する全長約61mの前方後円墳、6世紀末~7世紀前半築造と推定。前方部半分が滅失し円墳に見える。後円部南側に「石室」の案内板。行って見れば横穴式石室が開口していた。
 上越新幹線の高架を潜ると、やや南に定家神社が鎮座している。鎌倉初期の歌人・藤原定家を祀った神社だ。社殿北側に円墳らしき堆積があった。上越新幹線の高架沿いを北上し徒歩数分、東側には常世(つねよ)神社がある。観阿弥作の謡曲・鉢ノ木の主人公・佐野源左衛門常世の宅跡と伝わる。
 帰宅後、定家神社の古墳を調べて見たらやはり円墳で、境内にはもう1基円墳があるとのこと。また、常世神社も円墳上に鎮座しているという。

b1120-7 しゃぶ葉

b1120-8 西光寺-漆山古墳

b1120-9n 定家-常世神社

6. 佐野のわたし駅~山名古墳群
 上越新幹線の高架沿いをさらに北に歩くと、西側の低地に上信電鉄の佐野のわたし駅が見えてくる。当地一帯は古くから烏川の渡河点であり、万葉集に詠われた佐野の舟橋や、謡曲・鉢ノ木の舞台となった佐野の渡りとして知られていた。駅のホームには、地元の小学生のアイディアを基にした謡曲・鉢ノ木のイラストパネルが掲げられていた。高崎行上り電車の3分後、下仁田行下り電車がやってきた。旧国電色に似た塗色の200形、大手私鉄電車の再雇用かと思いきや、昭和39年(1964)製の自社発注車輛であった。やるなあ、上信電鉄。
 佐野のわたし駅から約8分、山名駅で下車。駅から東に進めば県道30号に出る。そこから県道にほぼ並行して南下、徒歩5~6分で西に向えばほどなく草地に出る。ここに山名古墳群の多くが保存されている。烏川の支流・鏑川左岸に前方後円墳1基、帆立貝形古墳1基、円墳14基、形態不明1基の合計17基の古墳が分布、6世紀中頃~7世紀前半築造と推定、市の史跡に指定されている。北側に覆屋があり、中には平成元年(1989)の調査で発掘された山名原口2号墳の石室が展示されていた。群の西端には主墳と見られる伊勢塚古墳がある。全長約64mの前方後円墳、別称・大将塚、多野八幡村60号墳である。
 山名古墳群の西側に広がるポリテクセンター群馬の塀沿いに北西に進み、左折し南西に進むと、左手に森が見えてくる。北西に進み、上信電鉄の線路南側を南西に進むと古墳であることがわかる。稲荷塚古墳、別称・多野八幡村54号墳、元々全長約108mの前方後円墳であったが、北側は道路建設で大きく削られている。墳頂には稲荷大明神の祠が祀られている。

b1120-10 佐野のわたし

b1120-11 山名古墳群

b1120-12 伊勢塚-稲荷塚古墳

7.山上古墳・碑~倉賀野駅
 稲荷塚古墳の西側から、上信電鉄の踏切を渡り北西に数分、南西に数分歩くと、西山名駅から北に向かう緩い登り坂に出る。そこから5~6分歩けば緩い下り坂に変わり、さらに進めば柳沢川という小川に出る。西に数分歩くと市史跡・来迎阿弥陀如来板碑があり、さらに行けば山上碑の案内板が見えてくる。
 階段を二百段ほど上れば山上古墳・碑がある。山上古墳は径約10mの円墳、隣の展示室内に保存されている山上碑の碑文から、古墳の被葬者がかなりの確率で特定でき、東日本の古墳で唯一、国の特別史跡に指定されている。山上碑の碑文は辛巳歳(681)、放光寺の長利僧が母の黒売刀自のため碑を造立したとある。最近の研究によれば、古墳の築造年代は碑文より早い7世紀中頃と推定される。山上碑は、高崎市吉井町の多胡碑・金井沢碑とともに上野三碑と呼ばれ、本年9月24日にユネスコ・世界記憶遺産の国内候補に選定された。
 来た道を戻り、西山名駅に向かう。西山名駅から南に数分、高崎産業技術専門校バス停で、ぐるりん・岩鼻線のバスを待つ。来たバスに乗り10数分で倉賀野駅前バス停に、ここで下車。駅前の居酒屋・ほのぼのに入る。まずは餃子などをアテに熱燗。夕食をと品書きを見れば、「最高にうまいボリスブラウン・玉子かけごはん」とある。女将に聞けばボリスブラウンは烏骨鶏に似た鶏の品種。女将が飼っており採卵したものを店に出している。玉子はとても美味だという。野崎さんは玉子かけごはんをオーダー。小生のたのんだ、つけ麺の茹で玉子もボリスブラウンとのこと。確かに美味いその黄身を賞味しつつ本日の〆とした。

b1120-13 山上古墳・碑

b1120-14 ほのぼの

所 感
 当日は全国的に今季最大の寒波到来が報じられた。上州といえば空っ風だ。ニューイヤー駅伝で、強風によろけるランナーの画像などを目にし、今期最強の防寒対策で出かけた。当日は曇っていたが、幸いにして微風、午後からは薄日もさしてくるような、今の時期にしては散策日和といいうる気候であった。
 高崎へは昨年6月、保渡田古墳群などを巡って以来の訪問であった。保渡田古墳群のある上毛野はにわの里公園の整備状況に比べ、今回巡った古墳群にはもう少し手をかければ、という点が散見された。山名古墳群も古墳自体の保存状態は良いが、個々の古墳の案内板や、全体の分布図などは見当たらなかった。
 同じ上信電鉄沿線の富岡製糸場は、世界遺産登録でブームとなったが、最近は客足が落ちているという。上野三碑のユネスコ・記憶遺産登録を機に、史跡の再整備や関連ダイヤ調整をして、上信電鉄と、ぐるりんなどを組合わせた史跡探訪コースができれば面白いと考える。           (幹事・柳沢記)




  
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