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旅たび倶楽部 第44回部録

2017.01.19.14:19

新春 大田区の古墳群を巡る

2017年1月15日(日) 晴れ  

 新春初歩きとして、大田区の古墳群を巡った。田園調布西側、多摩川沿いにある多摩川台公園には全長100m級の前方後円墳2基、中規模の前方後円墳1基と円墳7基が並ぶ都内最大の古墳群がある。その南の浅間神社古墳、六郷上水沿いに三基の円墳、池上線雪谷大塚駅近くに鵜ノ木大塚古墳がある。池上線で久が原駅に出て西に、鵜ノ木松山公園の横穴墓、その近くの民家に残る円墳、昭和のくらし博物館を経て、光明寺境内の円墳を巡り、池上線で千鳥町駅から蓮沼駅へ。女塚神社境内の円墳を見て、蒲田駅へ。アーケード商店街の歓迎(ホアンヨン)蒲田西口店で羽根つき餃子などの夕食を楽しんだ。

参加者; 柳沢道生、岩瀬 翠(多摩川駅まで)、野崎芳信

集合写真: 多摩川台公園、亀甲山(かめのこやま)古墳にて 

b0115-0 亀甲山-集合

1. 田園調布駅~宝来山公園
 10時過ぎ゙、東急線田園調布駅に集合、西口のモダンレトロな初代駅舎がランドマークになっている。駅前広場から街路が放射状に延びている。電線地中化ですっきりした景観、一戸の区画は広く保たれ緑で区切られている。なだらかな高低差も、街に心地よいアクセントとなっている。
 南西へ、緩やかな坂を進む。とあるお宅の前に抽象画が数点掲げられ、ガレージ・ギャラリーとなっていた。これも田園調布らしさか。徒歩数分で宝来山公園に着く。田園調布住民の組織㈳田園調布会が大正14年(1925)街の一角・潮見台を広場に整備、昭和9年(1934)東京市に寄贈、造園工事の後昭和19年(1944)開園、戦後大田区に移管された。大田区最古の公園である。
 園内を南に歩く。噴水の水面が凍っていた。当日朝の寒さがうかがえる。東南の出口の先に教会がある。プロテスタント系の日本基督教団 田園調布教会、昭和8年(1933)城南福音教会として創立された。園内に戻り斜面を下ると池がある。湧水をたたえた池でここは凍っていない。オシドリの群が遊弋していた。

b0115-1 田園調布

b0115-2 宝来公園

2. 多摩川台公園・多摩川台古墳群
 宝来山公園から南西に進めばすぐに多摩川台公園である。園内に入れば前方に宝来山(ほうらいさん)古墳がある。全長97mの前方後円墳、4世紀後半の築造と推定され、都の史跡に指定されている。その南東、公園北側広場の先に、多摩川台8号墳がある。径17mの円墳である。
 多摩川台公園を南北に区分している谷間を虹橋で超えると、遊歩道の左手に5基の円墳が並ぶ。多摩川台7号墳・径18m、6号墳・径20m、5号墳・径20m、4号墳・径18m,、3号墳・径14mである。そこから小路を隔てて円墳・2号墳・規模不詳、1号墳・前方後円墳・全長39mが並ぶ。
 1号墳の南の道を東に進めば古墳展示室がある。古墳群からの出土品、東国で6世紀に建造された横穴式石室をもつ前方後円古墳後円部の一部を実物大で再現したレプリカなどが展示されている。無料で見学できる。
 来た道を戻り、南に進めば亀甲山古墳がある。全長107mの前方後円墳、5世紀前半の築造と推定、国の史跡に指定されている。ここで集合写真を撮る。 

b0115-3 多摩川台公園①

b0115-4 多摩川台公園②

3.多摩川台浅間神社~多摩川ダイナー
 古墳展示室の先の出口から北に進む。前方に尖塔が見える。カトリック田園調布教会である。 昭和6年(1931)カナダ・フランシスコ会宣教師により創立された。来た道を南下、東急東横線の高架を潜れば、右手に大黒堂がある。名物鮎焼き、鯛焼きの鮎版である。お土産に購入する。
 南に歩けば多摩川台浅間神社の参道がある。武蔵国荏原郡下沼部村には浅間・赤城・熊野の三神社があったが、明治40年(1907)一村一神社令により合祀、浅間神社が村の鎮守となった。境内には多摩川を望む展望台がある。社殿は都内唯一の浅間造で、浅間神社古墳上に鎮座している。浅間神社古墳は全長60mの前方後円墳で5世紀末~6世紀初の築造と推定されている。 
 参詣し、ここで岩瀬さんは多摩川駅から東急多摩川線で蒲田に向かう。残り2名は神社西側へ。屋上が多摩川台浅間神社の駐車場になっている浅間ビルにあるカフェダイニング・多摩川ダイナーへ。二階席を希望すると準備中とのことで、しばし待つ。外階段を登ってオープン直後の室内へ。多摩川と鉄橋を渡る東横線などの電車の眺めが好い。昼食にはキーマカレーセットをオーダー。

b0115-5 教会-浅間神社古墳

b0115-6 浅間神社社殿-多摩川ダイナー

4.六郷用水~鵜ノ木大塚古墳
 多摩川駅南側の多摩川線踏切を渡り、線路沿いを南下、中原街道の高架を潜る。道路の東側に水路、復原された六郷用水だ。2013年2月23日(土)、第13回例会で通った道だ。水路の東側には雑木林が続く。ここに三基の円墳がある。荏原台古墳群の西岡50、52、53号墳である。名称は発掘調査を行った西岡秀雄・慶大名誉教授・大田区立郷土資料館元館長に由来する。50号が径32m、52・53号は規模不詳。接近方法がなく、明確な観察は難しい。
 水路に足踏み水車・ジャバラが復元されている。その先に、真言宗智山派の寺院・有慶山東光院がある。文禄3年(1594)に没した義賢和尚の創建と伝わる。玉川八十八ヶ所霊場55番である。門前の通りは旧中原街道だ。
 旧中原街道を北に歩く。最初の交差点が「さくら坂」である。福山雅治の代表曲のテーマとして著名となった。古くは沼部の大坂と呼ばれた。大正12年(1923)の改修工事で切通しとなり、昭和5年(1930)桜を植樹、桜の名所となった。
 旧中原街道をさらに進めば、田園調布警察署前交差点に出る。中原街道と環八通りが交わる。中原街道を東に、最初の路地を左折、徒歩数分で神社がある。雪谷大塚稲荷神社、社殿は鵜ノ木大塚古墳上に鎮座している。径27mの円墳、当地がかつて鵜ノ木領の飛地であったことが墳名の由来である。

b0115-7 六郷用水-.東光院jpg

b0115-8 さくら坂-鵜ノ木大塚古墳

5.嶺白山神社~鵜ノ木八幡宮
 雪谷大塚稲荷神社から東に徒歩約5分、雪谷大塚駅へ。東急池上線で蒲田方向へ2駅、久が原駅で下車。駅前商店街を西に歩けば、環八通り沿いに嶺白山神社がある。寛文年間(1661-72)に女体権現社として創建、 明治初年、現社名に改称。古くから当地の氏神として崇敬された。
 環八通りを渡るとかなり高低差のある住宅地、西に数分歩けば鵜ノ木松山公園がある。低位置にある入口から見上げる公園はなるほど松山にふさわしい。ここに鵜ノ木一丁目横穴墓群の1基が保存されている。6世紀末~8世紀前半の築造と推定される横穴墓群である。しかし、公園入口に案内板もなく、よくわからない。公園中を探しまわり、ようやく南出口付近で発見できた。横穴はガラスで保護され、内部はライトで照らされている。
 鵜ノ木松山公園の南、住宅地の中の民家の際先に鵜ノ木一丁目15番古墳・径17mの円墳がある。墳頂に小さな祠。ここも探索に苦労した。
 真言宗智山派の寺院、増明院の門前で環八通りを渡り、坂を登れば鵜ノ木八幡宮、永徳元年(1489)創建と伝わる。境内の紅梅は、いちはやく開花していた。神社前の道は昔の筏道、奥多摩から筏を組んで多摩川で木材を運んだ筏師が、仕事を終え徒歩で帰ったルートであったという。

b0115-9 嶺白山神社-鵜ノ木一丁目横穴墓

b0115-10 鵜ノ木1-15古墳-鵜ノ木八幡神社jpg

6.昭和のくらし博物館~光明寺荒塚古墳
 神社前の筏道を南に歩くと傍に小鳥居、道祖神、当地の俗称はおしゃもじ様。道祖神は路傍の神、村内と村外の境や辻、三叉路などに石碑・石像の形態で祀られる。絵馬代わりのしゃもじが奉納されていた。
 その南に昭和のくらし博物館の案内。入れば木造二階建の民家を改装した博物館がある。終戦直後、東京都の建築技師だった小泉孝が設計し建てた自宅を、長女で生活史研究家の小泉和子・元京都女子大学教授が、昭和20〜30年代の庶民の暮らしを後世まで伝える目的で博物館に改装し、平成11年(1999)に開館した。隣接して、画家・吉井忠の部屋が開設されて、彼の作品が展示されている。
 両館を見学し、西への坂を降りれば環八通りに出る。信号を渡り、通りを南東に歩けば光明寺の山門に出る。山号は大宝山、天平年間(729-49)行基が開創、弘仁年間(810-24)空海が再興し、寛喜年間(1229-32)浄土宗に改宗したと伝わる。本堂右手の石段を登ると綺麗に整備された円墳が見える。光明寺荒塚古墳、径23m、元は2号墳もあったが現在は削平されているという。

b0115-11 道祖神-昭和のくらし博物館

b0115-12 光明寺

7.女塚古墳~蒲田駅西口・歓迎
 光明寺山門から環八通り、藤森稲荷前交差点を渡り東へ。徒歩7分ほどで千鳥町駅に出る。池上線で蒲田方向に2駅、蓮沼駅で下車する。
 駅から東~北東方向に徒歩約7分、相生小学校の南側に女塚神社が鎮座している。南北朝時代(1336-92)に八幡社として現・蒲田駅付近に創建。明治21年(1889)当地に遷座、現社名に改称した。社殿左に円墳・女塚古墳があり、墳頂に白山明神が祀られている。傍らの石碑に「女塚古墳の由緒」として「南北朝時代の烈士新田義貞の子義興憤死のおり、侍女であった少将局が忠節を尽くしてともに害されたのを村民が憐み、この地に祀ると伝えています」と刻されている。
 女塚神社から東進、南下、東進すること約5分、右手に全面が魚形窓のユニークなビルが見えてくる、蒲田シオン・キリスト教会。プロテスタント・ホーリネス系福音派初の蒲田賜恩教会として昭和9年(1934)に創立された。
 教会から南下し、蒲田駅前アーケード商店街へ。お目当ての歓迎・西口店には予定よりかなり早着、開店の17時まで間がある、日も暮れうすら寒くなってきた。開いていた北の国酒場に入り、晩酌セットで時を待つ。17時も過ぎ、歓迎へ。何と一階席はすでに満杯。幸い二階席はまだ余裕があり、名物・羽付き餃子をはじめとする点心と中国料理を、紹興酒ロックとともに堪能した。

b0115-13 女塚-シオン教会

b0115-14 歓迎

所 感
 今回も懸念は天候であった。今季最大の寒波到来、全国的に豪雪が警告されていた。前日、天気図を見れば関東地方を除き、北日本はもとより、西日本全域まで、白い雪の表示であった、川崎市北部も、降雪はなかったものの、強い北風が吹き、冷え冷えとしていた。当日は晴れ、風を気にしつつ外に出れば微風、体感温度は前日比5度は上回っていただろう。田園調布駅で岩瀬さん曰く、出がけの坂戸市では風花が舞っていたそうだ。ここからは、想定しにくい。この日、幸いにも天候が崩れることはなく、充実した初歩きが楽しめた。 (幹事・柳沢記)
 















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