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旅たび倶楽部 第43回部録

2016.12.30.14:40

東松山市・高坂地区の古墳群を巡る

2016年12月20日(火) 晴れ  

 今回のコースは、元々11月24日(木)に予定していた。しかし、当日は時ならぬ降雪、観測史上初めて、11月に東京で積雪が観測されたという天候に見舞われ、開催を12月に延期した。場所は東武東上線、坂戸駅の二つ北側、高坂駅周辺の古墳群を巡る行程である。全長100m超級の前方後円墳・野本将軍塚古墳は著名であるが、調べて見れば街中に多くの古墳が点在していた。

参加者; 柳沢道生、野崎芳信、岩瀬 翠(高坂駅西口から)

集合写真: 野本将軍塚古墳にて

b1220-0 野本将軍塚古墳-集合

1. 高坂古墳群-南
 10時、東武東上線高坂駅に集合、東口に出る。高坂駅西口は住宅地の玄関口として整備されているが、こちらは造成中の新興住宅地といった印象。駅徒歩数分内にまだ空地も散見される。始めに、高坂古墳群を巡る。東松山市南部、高坂駅の東側、高坂台地の北東に分布している。
まず南へ、徒歩3分ほどで行く手に小高い緑が見える。拂田稲荷神社、天文3年(1534)創建の古社。拂田稲荷神社古墳・別称高坂13号墳、径30mの円墳上に鎮座している。お参りし、東に歩くと前方に高坂小学校がある。南下し、高坂小南側を東に進む。数分で左手に緑の塊、高坂12号墳、径13mの円墳である。
 東に数分歩き、北に折れると畑地の中に円墳がある。高坂11号墳・規模不詳。その東側、林の中にもう一つの円墳、高坂10号墳・径13mがある。そこから北に5分ほどで県道212号に出ると鳥居が見える。平安時代創建と伝わり当地の鎮守として崇敬されてきた高坂神社、境内に高坂神社古墳・別称高坂9号墳、円墳・規模不詳がある。さらに北に進むと5分ほどで天台宗の寺院・東光院がある。その東南、民家の庭に高坂6号墳、円墳・規模不詳がある。
 拂田稲荷神社古墳から高坂神社古墳までは高坂駅の南東にあたる。

b1220-1 拂田稲荷-高坂12

b1220-2 高坂11-10

b1220-3 高坂神社-高坂6

2. 高坂古墳群-北
 東光院の北側に高坂駅東口に至るバス通りがある。それを渡った北側、畑や造成地に囲まれて円墳、高坂5号墳・径14mがある。そこから西に進むと数分で県道344号に出る。県道沿いのたんぽぽ歯科、その北側の空地で遺跡の発掘現場に出くわした。戻ってから調べて見ると、東松山都市計画事業高坂駅東口第一土地区画整理事業に伴う遺跡調査、どうやら高坂二番町西遺跡のようだ。東松山市の資料によれば、発掘調査は12月に終了、古墳石室2基、住居跡2軒、溝 53 条、土坑 68 基、柱穴 345 基が確認されたという。
 たんぽぽ歯科の東側、県道を渡った先に緑の塊、高坂3号墳・径13mがある。県道を北に数分、東に数分歩くと寺院がある。曹洞宗の寺院・高済寺である。西側に土塁がある。当地には中世・高坂氏、江戸期・加賀爪氏の館が置かれた。土塁はその遺構だが、北側一帯は円墳であり、土塁はそれを利用したものだという。高済寺古墳・別称高坂1号墳・規模不詳、墳頂に当地一帯の代官を務めた加賀爪氏累代墓所があり、県の文化財に指定されている。
 高坂5号墳から高済寺古墳までは高坂駅の北東にあたる。

b1220-4 高坂5-発掘現場

b1220-5 高坂3-高済寺古墳

b1220-6 高済寺

3.毛塚古墳群
 高済寺から西へ、東武東上線の踏切を渡り、広大な都幾川河川敷の西側、堤防上の道を進む。この一帯に諏訪山古墳群があるはず、それらしき場所をあちこち探索するもよく分からない。後になって見れば、曲がるべき地点が大分手前だったようだ。時間もかなりロスし、南に向かうこととする。
 高坂駅西口から伸びるバス通りに出て、予定していた食堂に向うが、あいにく定休日、そこで今度は通りの飲食店を探索、インド・ネパール・アジア料理の店・ラシカに入る。インド人とおぼしき店主、内装もインド風。ここでキーマカレーセット・800円を注文。巨大なナンと少々のライスが付く。
 一心地つき、今度は南へ。県道212号を渡り、数分行けば宏仁会高坂病院がある。その駐車場南側に毛塚2号墳、円墳・径23mがある。毛塚古墳群、東松山市南部、高坂駅の南西、高坂台地の南西に分布している。26基が確認されているが、消滅したものも多いという。ここから、南の毛塚20号墳、南東の毛塚1号墳を巡る予定であったが、かなり時間が押していた。予定をショートカットし、北に戻り、最初の交差点を東に進む。東上線跨線橋北側の天神社にお参りし、そのすぐ北側にある稲荷林公園を抜け、高坂駅西口に向かう。

b1220-7 ラシカ-毛塚2

b1220-8 天神社-稲荷林公園

4. 野本古墳群
 14時15分、高坂駅西口で岩瀬さんと待合せ。20分発の東松山市循環バスに乗り約20分、野本市民活動センターで下車。バス停北側に野本将軍塚古墳・別称野本1号墳がある。現状、全長115mの前方後円墳。前方部後円部とも削られ、復元すれば埼玉古墳群・二子山古墳・全長138mを超える可能性があるとされる。後円部には平安中期の武将で、武蔵守等を歴任した藤原利仁を祀る利仁神社が鎮座しており、県の史跡に指定されている。ここで集合写真を撮る。野本古墳群は東松山市南東部、松山台地の東方に分布している。
 野本将軍塚古墳の北側に曹洞宗の寺院・無量寿寺がある。境内の石造八体仏が目をひく。当地は鎌倉時代の領主・野本氏の館跡であり、市の史跡に指定。
 野本将軍塚古墳の南側、県道345号を東に7~8分歩くと、県道南側に東松山市埋蔵文化財センターがある。市内の遺跡の調査・研究を目的に設立。出土品等を1階展示室に展示。事業予定地が埋蔵文化財包蔵地に該当しているかの確認や、県道344号沿いの遺跡発掘調査なども、当館の事業の一環である。
 県道345号をさらに東に、最初の丁字路で北に進めば、左手に径15mの円墳・野本4号墳がある。一帯が緑に覆われ、判別はなかなか難しい。

b1220-9 利仁神社-無量寿寺

b1220-10 資料館-野本4

5.柏崎古墳群~東松山駅
  野本4号墳から北東に進めば国道254号に出る。東に数分で、国道407号との合流点、柏崎交差点がある。そこから東に数分、畑の中におくま山古墳・別称柏崎1号墳・熊野山古墳がある。全長62mの前方後円墳、6世紀前半の築造と推定、墳頂におくま神社が鎮座している。おくま神社とは熊野神社の俗称、市の史跡に指定。柏崎古墳群は東松山市南東部、松山台地東方、野本古墳群の北東に分布している。県の重要遺跡に指定されている。
 おくま山古墳の東方、徒歩数分の畑の中に円墳がある。柏崎3号墳・径13mの円墳である。その北方に大倉工業の工場が広がる。その東側を迂回し工場北側、畑地の中の住宅の一隅に天神山古墳・別称柏崎10号墳がある。全長57mの前方後方墳、4世紀前期~中頃の築造と推定、とのことだが墳丘は殆ど削られ、畑地の区画にその痕跡が推定されるのみ。
 そこから北西に徒歩約10分、曹洞宗の寺院・万松寺があり、本堂西側の墓地に県の天然記念物・万松寺の椎がある。推定樹齢約五百年だが、落雷によりその一部を残すのみ。国道407号を渡り、西側の稲荷塚古墳・別称柏崎13号墳・径36mの円墳[36]、その北西の柏崎15号墳・径17mの円墳を巡り、その北側、国道407号沿いのパークタウン五領バス停から川越観光バスで東松山駅へ。
 東松山駅東口北側の商店街を北に歩く。最初の交差点西側の広場にはイルミネーションが点灯されていた。そのすぐ北側にある魚処・ばなゝやで夕食。色々あった本日の締めとした。

b1220-11 おくま山-柏崎3

b1220-12 万松寺-稲荷塚

b1220-13 イルミ-ばななや

所 感
 11月は大雪、今回も前夜まで雨が降り、天候が思いやられた。当日の予報も曇り時々雨であったが、幸いにして当日は好天に恵まれた。前半戦は思いのほか好調であったが、諏訪山古墳群以降は不満足な結果になってしまった。初めてのコースは、それなりの事前チェックを心掛けているものの、11月に済ませたはずという思いが油断を招いたのかもしれない。本年の歩き納めである。反省とともに、新年への教訓と受けとめたい。            (幹事・柳沢記)










  

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