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旅たび倶楽部 第40回部録

2016.07.20.22:15

川崎市 夢見ヶ崎~生田緑地

2016年7月17日(日) 曇り

 川崎市、新川崎駅西方の夢見ヶ崎台地、住宅地に囲まれた緑の丘陵であるが、市内唯一の動物園・夢見ヶ崎動物公園があることで知られている。ここには、川崎加瀬台古墳群があり、11基の古墳の存在が確認されており、現在7基の古墳が公園内などに保存・公開されている。
 小田急線向ヶ丘遊園駅近くの生田緑地は、日本民家園や岡本太郎美術館で良く知られている。緑地の北側、飯室山の麓には長者穴横穴墓群がある。
 今回は夢見ヶ崎から生田緑地を巡った。

参加者; 野崎芳信、柳沢道生(集合写真順)

集合写真: 生田緑地、桝形山展望台にて

b0717-0n 桝形山集合

1.新川崎駅~夢見ヶ崎・了源寺
 10時45分、新川崎駅に集合。横須賀線と貨物線の線路を歩道橋で超え、西に向かう。住宅地の中を歩くこと7~8分で、前方に緑の丘陵が見えてくる。加瀬山・別名夢見ヶ崎である。山裾からの石段を登れば木造の重厚な山門がある。
 龍頂山了源寺、日蓮宗の寺院だ。日蓮の弟子、日頂により加瀬山妙法寺として創建されたが、天文法難(1536)により荒廃した。寛文8年(1668)に再興され、現在の山号・寺号に改称した。宝暦2年(1752)建立の本堂右手の通路に入る。右側には崖が続く。先ほど来た新川崎駅一帯の街並みが見下ろせる、さらに進めば本堂の裏手、和風庭園がある。その向かいには小高い塚、これが加瀬台4号墳、径21mの円墳、5世紀後半の築造と推定されている。
 山門を出れば、夢見ヶ崎公園である。すぐ先に「了源寺と五兵衛の墓」の案内柱が立っている。「五兵衛」とは赤穂浪士ゆかりの軽部五兵衛、軽部家は当地近隣の豪農で、赤穂浅野家に出入りを許されていた。元禄15年(1702)の赤穂浪士吉良邸討入りの前、幾人かの浪士が軽部家屋敷に出入りし、大石内蔵助は10日ほど同家に滞在したという。軽部家墓所は了源寺墓地にある。

b0717-1 了源寺

2.夢見ヶ崎公園
 夢見ヶ崎公園内を東に歩く。ほどなく左手に小高い丘がある。加瀬台9号墳、径24mの円墳、築造年代は不詳である。小径があったので、登って見ると墳頂には小さな祠があった。園内に戻り、されに東に向かうと前方に大きな塔が見える。明治以降、第二次大戦終戦までの戦死・戦没者を祀った高さ17mの慰霊塔で、昭和35年(1960)に川崎市により造立された。慰霊塔の裏手は斜面になっている。その一角に盛り上がりが見られる。加瀬台2号墳、径15mの円墳、築造年代は不詳である。この東側にあった1号墳は消滅している。
 公園内を西に、了源寺門前に戻る。先ほどの「了源寺と五兵衛の墓」の案内柱の脇に「白山古墳の標」と刻された木柱があった。あれ、ここに全長87mの前方後円墳・白山古墳があったのか。事前の調査では『白山古墳(現・白山幼稚園の南西)…』(出典:川崎市幸区HP)とあり、この台地の西方にあったはずだ。どうやら、この標は公園内に白山古墳の規模を示すために置かれたもののようだ。
 公園南側の斜面に加瀬台3号墳への案内板があった。径20mの円墳、7世紀後中頃築造とある。斜面を降りると横穴式石室の開口部があった。昭和28年(1953)の調査では、鉄釘、麻織断片、成人男子骨片が発掘されたという。

b0717-2 夢見ヶ崎公園①

b0717-2 夢見ヶ崎公園②

3.夢見ヶ崎動物公園~天照皇大神~越路
 斜面を登って左に進めばレッサーパンダ舎がある。ここから夢見ヶ崎動物公園だ。とはいっても塀や柵で区切られている訳ではない。公園の一部に動物展示舎が並んでいる。周囲には家族連れが多くなってきた。昭和47年(1972)に開園した川崎市立の動物園、ゾウなどの大型動物や猛獣類はいないが、気軽に動物と親しめる人気のスポットである。ペンギン舎も見物客で賑わっていた。
 動物園の一角といおうか、鳥類舎の向いに熊野神社と浅間神社が並んでいる。浅間神社は加瀬台6号墳、径24mの円墳の頂に鎮座している。浅間神社の西側には小動物舎があり、その西側には8号墳、規模不詳の円墳がある。その南に天照皇大神(あまあてらすすめらおおかみ)の森。元弘年間(1331-33)創建、太田道灌が江戸城築城前、当社で夢告を受け、地名・夢見ヶ崎の由来となったと伝わる。社殿は加瀬台7号墳、径27mの円墳上に鎮座している。
 南への長い階段を降り、路地を抜け右折し西に向かう。数分歩けば北側の住宅地の中に緑で覆われた一角がある。地図を見れば白山幼稚園の南西にあたる。白山古墳跡、もしくはゆかりの地では、と近寄って見たが、案内板などは無かった。さらに進めば県道14号、越路交差点。そこのガストで昼食。

b0717-4 動物園

b0717-5 天照皇大神

4.登戸駅~桝形山
 越路のバス停から臨港バスで小杉駅東口へ。武蔵小杉駅から南武線に乗り登戸駅で下車。小田急線沿いの道を南西に徒歩約5分、そこから路地を南下し数分歩けば登戸浅間神社がある。ここには登戸富士塚古墳・別名高塚古墳という、径17m、高さ2.2mの円墳がある。富士講が流行した江戸時代に、富士塚に転用されたと見られる。墳頂の石祠は文久年間(1861-64)に建立された。
 登戸浅間神社から西に歩けば向ヶ丘遊園駅前通りに出る。そこを南下し、相生橋交差点で府中街道を超えさらに数分歩き、右折すれば左側は小高い林が続く。ここが生田緑地であり、飯室山の北麓にあたる。生田緑地北入口から、園内への階段を登ればすぐに、長者穴横穴墓群の案内板がある。江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」に「長者の穴」として紹介されている。昭和42年(1967)、宅地開発に伴う発掘調査で、32基の横穴墓群が確認された。
 そこからは飯室山頂への木製階段が続く。山頂、といっても標高80mほどの高台だが、展望台もある。ただし、当日の眺望は今一つであった。そこから尾根道を5分ほど歩けば桝形山である。生田緑地の最高地点、標高84mの枡形山は、鎌倉時代に源頼朝の侍大将・稲毛三郎重成が、枡形城を築いた地として知られる。山頂付近は公園として整備され、コンクルート造、4~5階建てに相当する展望塔がある。エレベータで展望台へ。霞みがちな眺望を背景に集合写真を撮った後、東側の道を降りる。随所に地層の露頭があり、傍らに桝形山の地層を解説した案内板があった。鹿児島から飛来した火山ガラスもあるという。

b0717-6 登戸富士塚-長者穴

b0717-7 生田緑地

5.日本民家園
 桝形山からの道を降りれば、ほどなく日本民家園に至る。正式名称・川崎市立日本民家園。古民家を中心とした日本初の本格的な野外博物館として、昭和42年(1967)に開園した。川崎市内をはじめ、主に東日本の茅葺き民家等20棟以上を移築・復元・保・存・展示している。うち7件9棟が国の重要文化財、1件・船越の舞台が国の重要有形民俗文化財に指定されている。65才以上の川崎市民は「すこやか手帳」の提示で無料となる。該当する私には、有難いことである。
 正門脇の本館には、2つの常設展示室があり、民家の基本を学ぶことができる。また、園内の何棟かは日替わりで「床上公開」が行われ、内部を見学できる。園内は、宿場、信越の村、関東の村、神奈川の村、東北の村の五つのゾーンに分かれており、それぞれの地域から移築された民家が展示されている。
 信越の村・五箇山から移築された合掌造りの山田家は床上公開中。中に入ればボランティアさんが囲炉裏に火をくべておられた。その近く、白川郷から移築された山下家の一階はそば処・白川郷、二階は展示室である。展示室では企画展「ふしぎ古民具大集合!」が開催されていた。収集された様々な古民具が、クイズ形式で展示され、興味深く拝見できた。
 東北の村から階段を登り、船越の舞台へ。さらに、川崎市の伝統工芸・本藍染めを体験できる西門脇の伝統工芸館を見学。再び東北の村に降り、山形県田麦俣の菅原家、岩手県柴波町の曲屋・工藤家を見学した。

b0717-8 民家園①

b0717-9 民家園②

b0717-10 民家園③

6.生田緑地・奥池~広場~向ヶ丘遊園駅
 日本民家園奥門を出ると、林の中に池がある。通称・奥池、神奈川県の絶滅危惧種に指定されているホトケドジョウの生息地として知られ、アメリカザリガニの釣り場としても人気がある。数組の親子がアメリカザリガニ釣りに熱中しており、それをじっと見ている人たち、ちょっとした人だかりができていた。
 林の中の坂を下りれば広場に出る。一隅に青色の旧国鉄客車・スハ42 2008号が、奥に旧国鉄の蒸気機関車・D51 408号が展示されている。公園などに展示されている車両には痛みが見受けられるものもあるが、ここではいずれも状態が良いようだ。正面の建物はかわさき宙(そら)と緑の科学館、平成24年(2016)にリニューアルオープンした自然体験、天文体験、科学体験をテーマとする科学館。建物の形状から愛称はサイエンスプリン、プラネタリウムが人気で、一般展示は無料だ。今回は閉館時間も近くなり、パスすることとした。
 日本民家園本館前を通り、坂を下れば先ほど来た道、稲生橋交差点を過ぎやや行けば中華・点心の店、旺仔(ワンチャイ)餃子がある。ここで夕食、まず生ビールで喉を潤す。アテは羽根付き餃子に焼売。それから定番の紹興酒ロックと何皿か、締めに上海焼きそばをいただき、おなかも満たす。徒歩3分程で向ヶ丘遊園駅南口へ。ここ本日の散策の解散とした。

b0717-11n 池-旺仔

所 感
 20余年、川崎市に在住しているが、これまで新川崎駅を利用したのは、横須賀線と南武線乗換えのため、南武線鹿嶋田駅との行き来くらいだった。夢見ヶ崎へも、動物公園だけだったら、足が向いただろうか。古墳群と動物公園が混在しているシュールな空間、それが夢見ヶ崎なのだ。また「夢見」の張本人が太田道灌であったとは。今回、事前に調べて 始めて知ったことである。
 その古墳群であるが事前の調査では、 川崎市教育委員間、川崎市幸区とも、HPで加瀬台古墳群と表記している。教育委員会では(夢見ヶ崎古墳群)と追記している。現地に行って案内板を見れば「加瀬山古墳群」と記載されていた。昭和60年(1965)、川崎市教育委員会により設置された。この間、名称変更があったのだろうか。いずれにせよ、呼称は統一してほしい。つけ加えれば、公園内の白山の標も、まぎらわしい。「夢」にはふさわしくない所感になtってしまったが、夢見ヶ崎自体は、私の好きな空間である。         (幹事・柳沢 記)
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