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旅たび倶楽部 第30回部録

2015.07.18.13:04

江東区 納涼・船遊び 芭蕉の史跡をたどる

2015年7月15日(水) 晴れ

 今回の訪問地は江東区である。散策の前半は船遊び二題を楽しみ、後半は深川に15年間住んだ松尾芭蕉の史跡をたどった。
 船遊びその一は、横十間川親水公園で江東区・和船友の会により行われている和船体験乗船。その二は水陸両用バス・スカイダックへの乗車。川の駅・旧中川で申込み、運行便に空席があれば、旧中川での水上走行区間に乗車できる。
 後半では江東区立芭蕉記念館、芭蕉庵跡・芭蕉稲荷神社と芭蕉庵史跡庭園、清澄庭園の芭蕉の句碑、奥の細道の出発点・採荼庵(さいとあん)、深川富岡八幡宮の境内社・花本社(はなもとしゃ)をめぐった。

参加者: 野崎芳信、岩瀬 翠、柳沢道生(集合写真順)

集合写真: 横十間川親水公園、和船体験乗船

b0715-0 和船-集合

1.横十間川親水公園
 朝10時、都営地下鉄新宿線改札口集合。都営まるごときっぷ(1日乗車券・700円 )を購入し、新宿線住吉駅へ。ここで都バス・東陽町行・東22系に乗り、三つ目のバス停・千田で下車。東に7分ほど歩けば.横十間川・海辺橋に出る。
 横十間川は万治2年(1696)、本所・深川開発に伴い開削された人工水路。江東区亀戸と墨田区業平の境界で北十間川から分かれ南へ流れ、竪川、小名木川、さらに仙台堀川と交差し、その下流で西に流路を変え、江東区東陽で大横川に合流している。両岸約2kmは横十間川親水公園として整備されている。
 海辺橋の北側に和船の乗船場がある。江東区は現在8艘の和船を所有、7艘が横十間川親水公園にあり、和船操船の伝統技術保存を目的に、和船友の会の活動に使用されている。和船友の会の協力により、所定の日時に一般の希望者も無料で体験乗船できる。受付で申込み、前の1組は台湾、その前の1組は中国からの旅行者であった。貸与された救命胴衣を着用し乗船、1グループ1雙という贅沢な空間、のんびりと水面を進む。東京とは思えない情景と時間を楽しむ。

b0715-1 和船

2.川の駅・旧中川
 千田バス停から都バスで住吉駅へ戻り、新宿線元八幡行に乗る。大島駅の先で地上に出た電車は東大島駅に。この駅は旧中川の上にあり、西側が江東区、東側が江戸川区に位置している。西側・大島口出口を出ると、南側には大島小松川公園・わんさか広場がある。公園を抜けた南側に川の駅・旧中川がある。
 川の駅とは河川敷を整備、水辺利用の拠点となる施設。旧中川・川の駅は23区内初の川の駅として、江戸時代の船番所跡地に平成25年(2013)開業。構内のスロープは、水陸両用バス・スカイダックの陸上~水上走行の切替え個所である。売店、休憩所、トイレの他、カフェ・水彩テラスがあり、喫茶・軽食を供している。12時スカイツリー発のスカイダックに空席ありとのこと。乗車を申込み、昼食にする。なお、平日はスカイツリー便のみだが、土休日は亀戸便もある。
 12時30分頃、スカイダックがやってきた。スロープ前で乗車、ほどなくスロープを走行し、水しぶきをあげて旧中川へ。中川大橋~小名木川との合流点~平成橋間を遊弋。初夏の晴天の下、川辺の緑も水の色も濃い。右岸にカルガモの群れ、親子だろう。左岸にはカワウが3羽、等間隔に羽を休めていた。長閑だ。

b0715-2 川の駅a

b0715-3 川の駅b

3. 中川船番所資料館
 川の駅・旧中川西側に隣接して中川船番所資料館がある。窓口で江東区の施設・芭蕉記念館と江戸深川資料環の三館共通券500円を購入し、入館する。
 船番所とは江戸時代、川を通行する船を取り締まった役所、いわば水上交通の関所である。 幕府は当初、深川万年橋北詰に深川番所を設け、夜間の出船や女性の通行、鉄砲などの武器や武具、物資の出入りを取り締まるとともに、商品流通を把握した。明暦の大火後の江戸市域拡大に伴い、寛文元年(1661)に旧中川と小名木川、行徳に繋がる船堀川が交差する地、利根川や江戸川を通じて江戸と北関東を結ぶ水上交通の要衝の地に船番所を移設し、中川番所と呼んだ。
 中川船番所資料館は平成15年(2003)、中川番所跡近くに開設された資料館。館内には番所が再現され、関連資料の展示などが行れており、展望室からは旧中川が一望できる。また、伝統工芸品「江戸和竿」や釣りに関する展示もあった。

b0715-4 船番所資料館

4.芭蕉記念館
 東大島駅から新宿線に乗り新宿方面に戻る。森下駅で下車、新大橋通りを西に歩く。新大橋手前の交差点を左折、南に数分歩けば芭蕉記念館がある。
 松尾芭蕉は門人で幕府に魚を納めていた豪商・杉山杉風(さんぷう)の支援で、延宝8年(1680)江戸日本橋から深川の草庵に移り、ここを拠点に新しい俳諧活動を展開した。この庵には、門人から贈られた芭蕉が生い茂り、芭蕉庵と呼ばれた。大正6年(1917)の大津波の後、当時の常盤一丁目から「芭蕉遺愛の石の蛙」が出土し、同10年に東京府はこの地を「芭蕉翁古池の跡」と指定した。
 江東区は芭蕉の業績を顕彰するため、昭和56年(1981)当地に芭蕉記念館を、平成7年(1995)に隅田川と小名木川の隣接地に芭蕉記念館分館を開設。芭蕉記念館では芭蕉・俳諧文学関連資料を展示している。集会場では句会が催されていた。

b0715-5 芭蕉記念館

5.芭蕉稲荷神社・万年橋
 芭蕉記念館から南に数分歩けば前方にアーチ状の橋の上部が見えてくる。万年橋である。橋の手前で右折、路地に入れば赤い幟に包まれた社がある。芭蕉稲荷神社だ。松尾芭蕉は延宝8年(1680)から元禄7年(1694)に至る15年間に、深川で三次にわたり芭蕉庵を編んだ。当地は天和2年(1682)まで、第一次芭蕉庵を編んだ場所と推定され、大正6年(1917)の大津波の後、地元の方々の尽力により当社が創建された。拝殿の右に芭蕉庵跡の石碑が立っている。
 芭蕉稲荷神社から路地を西に歩くとすぐに芭蕉庵史跡展望庭園がある。芭蕉記念館分館の付属施設、隅田川と小名木川の合流点にあり、新大橋から清州橋の眺めが良く、川風が心地よい。園内には芭蕉翁像や芭蕉庵のレリーフなどがある。
 路地を戻り、万年橋北詰へ。ここに深川船番所があったことを示す案内板がある。また、万年橋が延宝8年(1660)に架橋され、番所の橋と通称されていたこと、船の通航を妨げぬよう、高い優美な虹型で、安藤広重の名所江戸百景や葛飾北斎の富嶽三十六景にも描かれたことが記され、その絵を示した案内板もあった。なお、現在のアーチ橋は昭和5年(1931)に竣工した。

b0715-6 芭蕉稲荷

b0715-7 万年橋.

6.清澄公園・清澄庭園
 万年橋を渡り南に歩く。三つ目の交差店東側に北の湖部屋がある。第55代横綱・北の湖は引退後一代年寄・北の湖を襲名、三保ヶ関部屋より独立、昭和60年(1985)に部屋を創設した。当日は名古屋場所の初日、人の気配はなかった。
 さらに南に歩き、清州橋通りを渡れば前方に緑の木々が見えてくる。清澄公園である。清澄公園・清澄庭園一帯は江戸時代、紀伊國屋文左衛門の屋敷であったが幕末には荒廃していた。明治11年(1878)岩崎弥太郎が買収し、明治時代を代表する回遊式林泉庭園とした。関東大震災で大被害を受けたが、避難場所として多くの人命を救った。岩崎家は防災上の観点から、被害の少なかった東側を東京市に寄贈し、昭和7年(1932)に清澄庭園として公開された。東京都の名勝に指定されている。西側の清澄公園は昭和52年(1977)に追加開園されている。
 清澄公園の木立ちの下の小径を歩く。藤棚の近くに当公園のシンボル・江戸時計塔がそびえる。清澄公園東端に隣接した清澄庭園入口へ。入園料はシルバー70円。入園し池のほとりを散策。日差しは相変わらず強いが、池越しの風は清涼。池を3/4周したあたりの菖蒲田、花はすでに終わっていた。その近くに芭蕉の句碑、元々は芭蕉庵に造立されたものだが、手狭ゆえ当地に移設されたという。

b0715-8 清澄公園

b0715-9 清澄庭園

7.江戸深川資料館・採荼庵
 清澄庭園北側の道を東に歩き、清澄通りに出る。南に歩き、最初の交差点を左折すれば徒歩数分で江戸深川資料館である。江戸・深川佐賀町の町並みを再現した展示室や小劇場などを備えた文化施設として、昭和61年(1986)に開館した。江戸深川に関する歴史・民俗資料の展示と、文化活動の場を提供している。1/1のジオラマというべき展示室、エントランスに足を踏み入れれば屋根の上のネコが鳴く。長屋の一隅、三味線師匠の家の屋根だとのこと。特別展として江東区と大相撲展・横綱大鵬展が開催されていた。見学を終えここで岩瀬さんとお別れ。
 清澄通りに戻り、南下する。通りの右側にはほぼ同一規模の店舗付住宅が並ぶ。清澄庭園防災住宅、正式名称は旧東京市営清澄庭園店舗向住宅という。昭和3年(1928)築、全48戸のコンクリート造二階建長屋型店舗兼住宅である。岩崎家より清澄庭園の寄贈を受けた東京市が震災復興事業の一環として防災目的で庭園東側に建設・賃貸した。防災効果は東京大空襲時にも発揮された。
 清澄庭園防災住宅の南側は仙台堀川・海辺橋である。橋を渡った西側に採荼庵跡、その前に旅姿の芭蕉翁像がある。屋号を鯉屋といった杉山杉風の別宅跡で、芭蕉は奥の細道の旅に出る前に、芭蕉庵を手放してここに移り住み、元禄2年(1689)3月27日、舟で千住に向かい、奥の細道への旅に出た。採荼庵の前の仙台堀の名称は、堀の北岸にあった仙台藩蔵屋敷に由来している。

b0715-10 江戸資料館-防災住宅

b0715-11 採茶庵

8.深川公園・深川不動尊
 清澄通りを南下し、葛西橋通りとの交差点・深川一丁目を越え、首都高9号深川線をくぐると左手に赤札堂が見える。その先で左折すればすぐに深川公園である。旧永代寺・富岡八幡宮の境内、遊行の地であったが、明治6年(1873)の太政官布告により、日本最初の公立公園6ヵ所の一つとなった。園内には日清戦争勝利を記念して明治31年(1899)に造立された石造燈明台があり、区の文化財に指定。外壁には奉納者・団体の名が刻まれた石板が張られている。
 深川公園東側に深川不動尊がある。正式名は成田山東京別院・深川不動堂、真言宗智山派の寺院である。寛永元年(1624)に創建され、富岡八幡宮の別当寺として栄えた永代寺の一部であったが、神仏分離令で同寺は廃された。明治11年(1878)に成田不動の分霊を祀る深川不動堂の再興が認められた。現永代寺は、明治29年(1896)旧永代寺の塔頭・吉祥院が寺号を継承し再興した。当地の地名・門前仲町は旧永代寺の門前が由来である。深川不動尊の本堂は外壁を梵字のデザインで囲んだ現代建築。伝統的な旧本堂に入り、本尊・不動明王像に参拝。さらに堂内に展示された仏教芸術品、仏像の数々を見学。

b0715-12 深川公園-不動尊

9.富岡八幡宮・紅とん
 深川不動尊の東に富岡八幡宮がある。横浜市金沢区富岡・富岡八幡宮の直系分社。創建は寛永4年(1624)、長盛法師が砂州であった当地を干拓、永代島に八幡宮を建立した。貞享元年(1684)幕府より春と秋の二場所の勧進相撲が許され、大相撲発祥の地とされる。境内には横綱力士塚がある。八幡宮より古い地主神・七渡弁天を祀る弁天社があり、その近くに花本社がある。芭蕉を松尾芭蕉命(まつおばしょうのみこと)として祀り、寛政年間(1789~1800)俳人有志により建立された。さらに、境内には近くに住んでいた伊能忠敬の像や、佐川急便会長が寄贈した重さ4.5t・日本一の大神輿があり、見所にはことかかない。
 富岡八幡宮に南側・永代通りに面して人気の酒場・魚三がある。ひょっとしてと前を通ってみたが、やはり数組の待ち行列。さっさとあきらめ、永代通りから二筋南の路地にある紅とんへ。この日の生ビールは今期一番の喉越しであった。

b0715-13 富岡八幡

b0715-14 花本社-紅とん

所感
 7月に入って殆ど日照時間の無い、梅雨らしいにもほどがある、といいたい日々が続いていた。そこへ台風9・10・11号三兄弟が発生し、一転し真夏の到来を思わせる猛暑となった。当日も朝から晴天、熱中症が気になった。幸いだったのは風である。横十間川親水公園でも、旧中川・川の駅でも、芭蕉庵史跡展望庭園でも、清澄庭園でも、水辺の風は心地よかった。
 今回、特に印象に残ったのは和船友の会である。下町の街並みの延長に、別世界ともいえる横十間川親水公園があり、普段着の人達が散策の延長で和船を楽しんでいた。私達の前の二組も、外国人観光客集団にありがちな、嬌声をあげることもなく、雰囲気に溶け込んでいたようだ。船頭さんに訊いたら和船友の会会員は現在約60人、若い人も多いという。「勤めがあるんで平日は難しいけどね」と付け加えられたが、それでも心強いことである。      (幹事・柳沢記)



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