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旅たび倶楽部 第26回部録

2015.03.02.12:18

早春の国立~府中、湧水群と史跡散策

2015年2月21日(土) 晴れ

 今回は南武線沿線、西国立~谷保へ。立川崖線、青柳段丘崖線の湧水群から谷保八幡宮を巡り、さらに府中へ。武蔵国府遺跡群と大國魂神社を訪れた。

参加者: 野崎芳信、岩瀬 翠、柳沢道生(集合写真順)

集合写真: 谷保(やぼ)天満宮、梅園にて。
早咲きの白梅、紅梅の前で。なお、天満宮の読みは「やぼ」
だが、当地の地名・駅名は「やほ」である。

b0220-0 谷保天神-集合


1.西国立駅~矢川弁財天
 11時、南武線西国立駅集合。参加者3名とも、この駅で下車するのは初めてであった。駅から南に歩く。踏切を渡り、みのわ通りに出る。信号のある交差点の西側に教会、モルモン教の国立ワード(支部)である。通りをさらに南下、次の信号で左折する。光悦寺という寺院、この界隈に立川・立河氏の出城・箕輪城があったという。現状、遺構は見られず、案内板もない。
 お寺の南に緑地が広がる。矢川緑地だ。矢川は、立川段丘の崖下からの湧水を集め、立川市、国立市、府中市の3市を経由し府中用水と合流する全長約1.5kmの普通河川・河川法の適用を受けない河川である。流れが速かったことから「矢」川と呼ばれたという。矢川緑地は矢川の有力な湧水源の一つ、幅2mほどの矢川沿いに北側に樹林、南側に湿地が広がり、約2.1haの小規模な緑地を形成。昭和52年(1972)緑地保全地域に指定されている。
 緑地から階段を上り、みのわ通りを渡れば矢川弁財天がある。矢川緑地の西にあるケヤキの大木の傍に鎮座していたが、昭和18年(1943)現在地に遷座された。水神である弁財天と、その使いの神とされる龍神と白蛇の両方を祀る。狛犬に代わって狛蛇が祀られ、狛犬のように向き合い、右巻き・左巻きの対称をなす。境内には竜神池があり、矢川の流れが注ぎ込む。狛蛇の前の手水舎(ちょうずや)では、地下から湧水を汲上げ、飲むことも出来る。飲めばご利益があると伝わり、全員が喉を潤す。後ほどあったご利益については、後述したい。

b0220-1 教会-緑地

b0220-2 矢川弁天

2.国立市青柳界隈
 矢川緑地、矢川弁財天までが立川市、その南と東側は国立市である。矢川沿いに国立市に入る。矢川は無粋な護岸のない、昔ながらの「春の小川」である。徒歩数分で校舎が見えてくる。国立第六小学校、その傍らに親水公園・矢川いこいの広場がある。東屋やベンチなどの休憩設備があり、夏には国立第六小学校の生徒が育てたホタルが放流されるという。
 ここから南下、ほどなく広い通りに出る。旧甲州街道、交差点の側にある蕎麦処・矢川蕎麦店で昼食。お二人は人気メニュー、かつ重セット蕎麦付。私は、水の名所に旨い蕎麦あり、と壁の品書きを見ていたら、冷奴があった。水の名所の豆腐も然り。ざると奴を頼む。これは正解、共に旨かった。
 旧甲州街道を西に歩く。青柳福祉センターの前に常夜燈があった。寛政11年(1799)造立、昭和初期頃まで村人が毎晩当番で蝋燭1本を灯す習慣があったという。夜の旅人の利便を図ったものだろう。この辺りが旧青柳村の中心であったようだ。青柳村は昔、現・府中市本宿の多摩川南岸、青柳島にあったが寛文11年(1671)多摩川の大洪水で流出し、当地に移転したという。
 ここから南へ入る路地は青柳稲荷神社の参道だ。宝暦5年(1755)創建。武蔵国多摩郡青柳村の鎮守であった。明治22年(1889)青柳村は谷保村に併合、以降青柳・石田地区の氏神となった。本殿と拝殿は市の登録有形文化財である。

b0220-3 広場-蕎麦

b0220-4 常夜灯-稲荷


3.古墳、湧水、寺、コンサート
 青柳稲荷神社から東に歩く、数分でやや高台になった新興住宅地。その一角に公園がある。四軒在家(しけんざけ)公園、一隅に古墳が復元されている。平成13年(2001)から翌年にかけて発掘調査により10基の円墳と多数の副葬品が発掘された。このうち最も石室の状態の良い四軒在家1号墳がこの公園に移設・展示されている。7世紀前半造と推定されている。
 この公園の南側、崖の下に木立ちが広がる。崖は青柳段丘、その下がママ下湧水公園だ。国立の湧水群の中で、最も豊富な湧水量を有する。ママとは崖の意の古代語、ハケと同意。当地ではママを用いてきた。昭和初期までワサビ田も見られた。近隣の開発に伴い公園として整備。東京の名湧水57選に選定。最大の湧水源は木枠で囲まれていたが、崖下には小さな湧水が連なっていた。
 ママ下湧水公園東側、都道20号を北上、滝乃川学園北側を東に歩く。金網で囲まれた建物、東京都水道局谷保二号水源、当地の湧水は公共の水道にも利用されている。滝乃川学園内を流れる矢川を渡れば寺院がある。谷保山南養寺、鎌倉時代創建と伝わる臨済宗建長寺派のお寺だ。本堂は文化元年(1804)建立。大悲殿は享保3年(1718)建立の圓成院観音堂を寛政5年(1793)に移築。ともに市指定文化財。昭和57年(1982)庫裡改修工事の際、縄文時代中期末・約4千年前頃の竪穴住居跡が発見された。南養寺遺跡と命名、庫裏の側に案内板があった。
 南養寺から矢川通りを南下、途中で路地を東に入るとすぐに、くにたち郷土文化館がある。国立の歴史・郷土資料を展示、南養寺遺跡から出土した顔面把手付土器は市指定文化財。館内には武蔵野庭園・歴史庭園・伝承庭園を設置。平成6年(1994)に開館した。展示を一通り見たら「喫茶室でSP盤のコンサートがあります」というお誘い。行って見ればアンティークな電蓄。大正9年(1928)発売のビクター製品・Victrolaというそうだ。ベートーベンの交響曲5番、レトロな響きが好い。聴き入っていたら、コーヒーと茶菓。サービスだという。これぞ弁天様のご利益。有難くいただく。

b0220-5 古墳-湧水

b0220-6 寺-資料館

4.古民家、城山、谷保天満宮
 くにたち郷土文化館から東に歩く。ヤクルト中央研究所が見えてくる。北側の崖と南側の研究所の間には、ハケ下湯歩道があるが、あいにく工事中。一般道を進めば古民家が見えてくる。旧柳澤家住宅、旧青柳村・旧甲州街道の常夜燈の北側にあった農家兼漬物商、屋号はたくあん屋。茅葺きの主屋は江戸後期築と推定。主屋前には風除け・日除けのシラカシの高垣がある。平成3年(1991)に移築・公開され、市の文化財に指定されている。
 旧柳澤家の北側から城山公園が始まる。池と湯歩道があるが、ここも工事中。いやはや年度末の光景だ。畑の中の道を歩くと野鳥の大群。どうやらヒヨ鳥のようだ。城山公園の東部分に入る。丘の上には鎌倉初期の城館跡がある。土塁に囲まれた二つの郭(くるわ)と、地形を利用した空堀、屋敷林や雑木林が残され、復郭式館城の特徴を残す。城主は三田氏と推定される城館跡は都の旧跡に、全域が都歴史環境保全地域に指定されている。
 城山公園から東に歩く。国立乗馬クラブの先で北に折れ、旧甲州街道に出る。街道の脇に清水の立場(たてば)跡がある。街道の休憩所、清水が湧き茶屋があったという。旧甲州街道を地下道で渡れば、谷保八幡宮の北西端、東京の名湧水57選・常盤の清水があり、南側の弁財天を祀る厳島神社の弁天池に注いでいる。谷保天満宮、社伝では創建は延喜3年(903)菅原道真三男・道武が父を祀る廟を建立。東日本最古の天満宮、亀戸天神社・湯島天満宮と合わせ関東三大天神と呼ばれる。明治41年(1908)に 有栖川宮威仁親王らが、初の国産車タクリー号など11台で日本初のドライブツアーを実施。その縁で当社は交通安全祈願発祥の地とされる。境内にタクリー号が保存されていた。梅園に向かう。立派な御神鶏が数羽、たむろしていた。梅園は一部の早咲きの樹が開花をはじめたといったところ。お休み処、てんてんで甘酒をいただく。神田明神前の名店、天野屋の麹を使っているという、本格派だ。

b0220-7 古民家-城山

b0220-8 弁天-神鶏

5.府中
 谷保天満宮から北へ徒歩薬5分、谷保駅へ。南武線電車で3駅薬7分、府中本町駅で下車。駅の東側には広大な空地。武蔵国府跡・御殿地地区の看板がある。平成20年(2012) イトーヨーカドー府中店の再開発計画に伴う発掘調査で、初期の国司館(こくしのたち)と考えられる国府の重要な施設跡と、徳川家康が鷹狩に用いた府中御殿関連の遺構が発見された。当地は多摩川の流れと富士山が望める府中有数の景勝地であった。国の史跡に指定されている。
 府中街道を北に歩き、最初の信号を右折すれば、大国魂神社である。社伝によれば、第12代景行天皇41年(111)創建、出雲系武蔵国造家が祭祀してきた。大化改新後、境内に武蔵国国府がおかれ、当社は武蔵総社となり、後に武蔵国内著名六社を合祀し武蔵総社六所宮と変わった。明治4年(1872)大國魂神社に改称。寛文7年(1667)建立の本殿は都の文化財である。お参りし、境内東側の武蔵国府跡・武蔵国衙跡地区へ。国衙の建物の柱が再現されていた。境内に戻り、ふるさと府中歴史館を見学。ふと見れば境内社の社殿脇に、柄杓が沢山奉納されていた。見れば全て底が抜けている。天鈿女(あめのうづめ)命を祀った宮之咩(みやのめ)神社、底の抜けた柄杓は安産祈願だという。
 さて、夕食をと予定の店に行ってみたら「休業」の張り紙。そこで府中本町駅近くの店を覗いたら、どこも満員。今日は府中競馬の開催日。祝勝会やら残念会やらで大賑わいなのだ。やむなく、京王線府中駅付近を、と歩いていたら居酒屋・山茶花の看板。ダメ元と覗いてみたら空きがあった。どうやら元カラオケ店だったらしい。この際贅沢は言っていられない。早々に腰を下ろした。

b0220-9 駅前遺跡-門

b0220-10 国衙遺跡-歴史館

b0220-11 境内社-山茶花

所感
 印象に残ったのは矢川だ。河川法の適用を受けなかったためか、護岸工事などなされず、「春の小川」に唄われたイメージの流れであり、ホタルの飼育にふさわしい環境であった。末永い存続を切に願う。
 散策の過程で見かけた東京都水道局の施設、ここの湧水は現役の水道に使われていた。奥多摩湖からの取水量に比べれば、微々たるものであろうが、それでもなぜか嬉しさを感じた。                 (幹事・柳沢記)
 













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