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旅たび倶楽部 第23回部録

2014.11.26.22:00

王子水の史跡~浅草酉の市

2014年11月22日(土) 曇り

 今回は、先ず7月に行こうとして、途中でゲリラ豪雨のために取りやめた、王子界隈を巡った。江戸時代、武蔵国豊島郡王子村は飛鳥山、音無川、王子七滝などの名所や王子権現、王子稲荷などの古社を有する、江戸近郊きっての避暑地・行楽地として賑わった。今も、飛鳥山はもとより、名主の滝公園、音無親水公園など、水にまつわる見所が多い。
 当日、11月22日は二の酉。王子から都電荒川線で三ノ輪橋へ、投込み寺・浄閑寺、一葉記念館を巡り、浅草酉の市の会場、長國寺と鷲(おおとり)神社へ。そこから近くの吉原神社に寄り、浅草に向かう。締めは浅草ホッピー通りで、というコースを楽しんだ。

参加者: 柳沢道生、野崎芳信(集合写真順)

集合写真: 王子・名主の滝公園、男滝にて

20141122-0 集合n

1.王子稲荷神社、名主の滝公園
 朝11時、JR王子駅北口集合、北へ徒歩約5分、王子稲荷神社へ。関東・東国三十三国の稲荷総社。江戸古典落語『王子の狐』の舞台となった神社で、古くは岸稲荷とも呼ばれた。毎年大晦日の夜、諸国の狐が社地の東、古榎のあたりに集まり装束を改めると伝わり、今も12月31日には王子狐の行列が開催される。拝殿裏の狐の穴跡、願掛け石を巡る。願掛け石は持上げてみて、思ったより軽ければ願いは叶う、重ければ困難という。試してみたら、思いの他どころでなく、持上らない。腰にリスキーと早々に退散。
 神社から北へ徒歩2分ほど、名主の滝公園へ。安政年間(1854-60)に、王子村名主・畑野孫八が自邸に開いた庭園、現在は北区の区立公園。男滝(おだき)・女滝(めだき)・独鈷(どっこ)の滝・湧玉(ゆうぎょく)の滝の4つの滝からなる回遊式庭園である。滝もさりながら、野趣に富んだ渓流が佳い。この界隈が都市化される以前の佇まいが伺える。

b1122-1 王子稲荷
           王子稲荷神社・楼門                                王子稲荷神社・願駈け石

b1122-2 名主の滝
          名主の滝公園、独鈷の滝                              名主の滝公園、渓流     

2.王子神社、音無親水公園
 公園から来た道を戻り徒歩数分、信号を右に曲がると権現坂、坂を上ると神社がある。王子神社、かつては王子権現と呼ばれ、坂の名となった。北側の入口を入るとお社がある。境内社・關神社だ。お社の脇に毛塚が立っている。蝉丸を祀り、かつら・かもじ業者、床山、演芸関係者、美容師などの信仰を集めている。境内を進むと王子神社拝殿、やや遅めの七五三だろう、一家でお参りしていた。境内の南側は谷間になっており、そこへ下る小径の傍らに、樹齢約600年という、イチョウの巨古木があった。
 谷間は音無親水公園である。音無川は石神井川の王子付近の俗称、古くから景勝の地として知られていた。昭和30年代(1955-)から始まった石神井川の河川改修で、旧流路となった音無橋付近の渓谷を親水公園として整備・昭和63年(1988)開園した。河川敷に下りて見る。周囲は樹木で覆われているが、斜面には石垣、流路もコンクリート張りと、入念な企画のもとに整備された、市街地内の憩いの空間だ。日本の都市公園百選に選定されていることも、うなづける。


b1122-3 王子神社
           王子神社、境内社・關神社                              王子神社・拝殿


b1122-4 音無親水n
          音無親水公園、橋上からの景観                         音無親水公園、音無橋を望む


3.王子駅界隈
 音無親水公園の東側、川端に居酒屋チェーン店などが入った雑居ビルがある。地図で見ればここが扇屋ビルだ。扇屋は創業慶安元年(1648)。落語『王子の狐』の舞台となった老舗料亭だった。現在は、『王子の狐』で主人公が狐に化かされ盗られた名物・玉子焼専門店として営業しているはず。店を探すが見当たらない。近くにいたオジサンに聞くと「そこだよ」とネットカフェ店頭の木造の小屋を指す。行けば『12時から営業』の張り紙。時計を見ると、12時はとうに過ぎているのに。やむを得ない、昼食後に再訪しよう。
 徒歩約1分、王子駅北口からもすぐのラーメン屋「えんや」へ。自家製麺・薩摩地鶏淡麗系スープが売りの人気店。店内に入ると『第12回東京ラーメン・オブ・ザ・イヤー 2011-12』のポスター。そこには「えんや」の堂々、シオ部門の優秀賞受賞が示されていた。特製シオラーメンをオーダー。これは期待に違わぬ美味であった。
 食後、再度ネットカフェ前へ。やはり、店は開いていない。狐に化かされたのだろうか。例の玉子焼きは、まだ買っていないのに。

b1122-5 扇屋-えんや
          扇屋・玉子焼き売店、CLOSE                        王子駅北口駅前、ラーメン屋・えんや


4.飛鳥山公園
 王子駅北口から中央口へ、歩道橋を下りJRのガードをくぐると飛鳥山公園北入口。斜行モノレール・愛称あすかパークレールの乗場がある。平成21年(2009)に開通した。殆ど待たずに乗車、車内はほぼ満員、人気があるんだ。都電が中央を通る明治通りの坂道を右手に見ながら急勾配を登ればすぐに山上に着く。
 享保5年(1720)徳川八代将軍吉宗が、享保の改革の一環として桜を植樹、元文2年(1737)、仮装・鳴り物・音曲おかまいなしの花見の名所として江戸庶民に開放。明治6年(1873)太政官布告で日本初の公園5ヵ所の一つに指定。現在北区の区立公園である。一部紅葉が始まった園内を歩き、公園南側に向う。静態保存・公開されている都電6080号、SL・D51835号を眺めて進めば、紙の博物館・飛鳥山博物館・渋沢資料館の博物館・3館が並ぶ。いずれも平成10年(1998)に開館した。共通券を購入、3館を見学する。最後に渋沢資料館に付属施設、渋沢庭園内の保存・公開されている書庫・青淵文庫と茶室・晩香廬(ばんこうろ)を回る。華美ではないが綿密にデザインされたシックな雰囲気、ともに国の重要文化財に指定されている。
 3館見学後、公園中央出口から本郷通りを渡り、都電荒川線飛鳥山電停へ。数分後に来た、三ノ輪橋行の電車に乗る。先ほど、あすかパークレールから見下ろした坂を下る。旧国鉄碓氷峠並の急勾配、曲線、めったにない車の軌道敷侵入可という難所だが、この日は渋滞も、無作法な車も無く、スムーズに王子駅前に着いた。

b1122-6 飛鳥山
       飛鳥山公園、あすかパークレール                           飛鳥山公園、色づいた紅葉

b1122-7 渋沢庭園
       飛鳥山公園、渋沢庭園・青淵文庫                          飛鳥山公園、渋沢庭園・晩香廬


5.三ノ輪橋~竜泉
 王子駅前から10数分で終点三ノ輪橋電停へ。途中、梶原電停以降の荒川区内の所々、そして三ノ輪橋電停には、荒川線名物・バラの花が見られた。すでに盛りは過ぎていたが。電停を降りて、荒川線が旧東京市に買収される前の経営主体、王子電気軌道㈱の本社があった旧王電ビル・現梅沢写真会館の下、三ノ輪橋商店街を通り、日光街道・国道4号へ。通りを南下、常磐線のガードをくぐると道端に「三ノ輪橋跡」の碑があった。日光街道はここで石神井川を越えていた。
 その東側にある寺院は「投込み寺」と俗称された浄閑寺だ。安政元年(1855)の江戸大地震で新吉原の遊女五百余人が犠牲となり、遺体が当寺に投込まれたことが俗称の由来とされる。墓地には新吉原創業から終焉までの遊女等と、安政・大正・二度の大震災の犠牲者、合計約2万5千人を慰霊し、昭和4年(1929)造立された新吉原総霊塔や本庄兄弟首洗い井戸、永井荷風ゆかりの新比翼塚などがある。
 浄閑寺から徒歩すぐ、日光街道と明治通りが交差する大関横丁交差点を渡る、路地を南下。熊手を担いだグループ2組、無論酉の市に向かう人たちだ。7~8分ほどで一葉記念館に着く。樋口一葉・本名奈津(明治5~29年・1872-96)の文学的業績を称えるため、明治26~27年の間居住し駄菓子屋を営み、代表作「たけくらべ」の舞台ともなった一葉ゆかりの地、台東区竜泉・旧下谷龍泉寺町に設けられた区立の資料館。昭和36年(1961)開館。平成18年(2006)、地上3階・地下1階建ての近代的ビルとして、リニューアルオープンした。普段は入館料300円だが、一の酉(本年は11月10日)と二の酉(本日)は入場無料だ。館内を見学し、記念館前の一葉記念公園の一葉文学碑、一葉旧邸跡を巡り、酉の市に向かう。 


b1122-8n 三ノ輪橋-浄閑寺

b1122-9 一葉記念館
              一葉記念館                                一葉記念公園・文学碑


6.酉の市~吉原神社
 一葉旧邸のすぐ近くの路地から露店の賑わいが聞こえる。長國寺と鷲神社に続く参道、いよいよ酉の市だ。まず、焼きそば・広島焼き・リンゴ飴といったお祭り露店の定番が並ぶ。長國寺に近づけば、熊手の店が増えてくる。そこここで、威勢の良い掛け声と手拍子が響く。やがて周囲は熊手店一色、その数の多さに驚嘆する。 さて、長國寺と鷲神社では酉の市について、異なった伝承があることは興味深い。
 鷲在山長國寺、寛永7年(1630)浅草寺町に創建された法華宗本門流の寺院。寛文7年(1669)当地に移転。創建時より、毎年十一月酉の日に、大本山鷲山寺(じゅせんじ・千葉県茂原市)の鎮守・鷲(わし)妙見大菩薩の出開帳が行われ、多くの参詣者が集まり、門前に市が立った。浅草酉の市の発祥の寺とされる。
 鷲神社は創建年代不詳。江戸時代には鷲(おおとり)大明神、俗称・鳥の社・おとり、と呼ばれ、現在も俗称・おとりさま、として信仰を集めている。社伝によれば、日本武尊が東征の際に戦勝祈願し、志を遂げた帰途、御礼参りに十一月の酉の日に武具の熊手を奉納した。この故事により、十一月の酉の日を例祭日と定め、酉の祭(まち)と呼んだが、後に祭りの日に市が立ったため、酉の市と称されるようになったと伝わる。
 長國寺本堂前には熊手を持った参詣の人々の列。人混みをかき分け進めばすぐに鷲神社境内。ここも長蛇の列。夜空に掲げられた多くの奉納提灯が眩しい。明治初年の神仏分離令まで、長國寺と鷲大明神は一体であった。その後、寺院と神社に分けられ、伝承もそれぞれにふさわしく、整理されていったのだろう。鷲神社境内の熊手店群から、路地の定番露店街を抜け、北東に歩く。
 露店の灯りが途切れた頃、先に薄明りが見える。吉原神社、すでにこの辺りは旧吉原遊郭のナカなのだ。吉原遊郭の総鎮守として信仰を集めた吉原神社、その境内には先ほどの長國寺と鷲神社一帯の雑踏とは余りに対照的に、一組の老夫婦がひっそりと参詣されていた。喧騒と静寂、その対比が見事であった。

b1122-10 長國寺
           浅草酉の市、熊手屋                               長國寺、本堂

b1122-11 鷲神社-吉原神社
              鷲神社、拝殿                                 吉原神社、拝殿


7.浅草
 吉原神社の前の通りは旧吉原遊郭の仲の町通り。北東に歩き、右に曲がれば京町通りだ。街灯は付いているが町灯りは殆どない。ようやく、風俗店らしき看板、その先は何もない。さらに歩けば賑やかな通りに出る。千束通り、浅草に続く商店街の北端である。浅草四丁目、浅草三丁目の交差点を過ぎ、言問通りを渡ればひさご通りに入る。所謂浅草の街、酉の市とは雰囲気が違う雑踏が始まる。
 右手に江戸下町伝統工芸館が見えてくる。江戸下町の職人から伝承された伝統工芸品を造る技と作品を紹介する区立資料館。平成9年(2007)開設された。45業種、3500点の作品という常設展示を見学する。午後8時まで開館、入場無料は嬉しい。
 ひさご通りをウィンズ浅草前で左折、花やしきを左に見つつ南下すれば、また異なった喧騒。通称ホッピー通り。大衆的な居酒屋・半露店が軒を連ねる。牛スジ煮込みの名店が多いことから、煮込み通りの別名がある。正式名称は公園本通りというそうだが、そんな感じはしない。店を冷やかしながら歩き、その一店に入る。とりあえず、ホッピー黒と煮込みから。店のテレビでは大相撲九州場所14日目の放映。まだ、そんな時間なんだ。
 アテをあれこれ頼み、ホッピーのナカを何度かお替りし、帰途に。伝法院通りから仲見世に出るとライトアップされた浅草寺が美しい。参詣しよう。宝蔵門をくぐり境内へ。左手には五重塔、正面には本堂が、夜闇にくっきりとそびえていた。あたりには、最近昼間に多くみられる外国の観光客はいなかった。殆どシャッターの下りた仲見世を通り、雷門を通り、神谷バーでお土産の電気ブランを購入。銀座線浅草駅から各々の家路についた。 

b1122-12 ホッピー通り
           江戸下町伝統工芸館                              浅草ホッピー通り、和(なごみ)

b1122-13n 浅草寺

所感
 今年は早めに寒気が来たが、当日はさして寒くもなく、変化に富んだ街歩きができた。江戸時代、江戸町民の行楽地と歓楽街を巡り歩いた。週末、飛鳥山は家族連れで賑わっていたが、名主の滝公園はさほどでもなかった。酉の市はまさにお祭り状態であったが、そこから徒歩数分の吉原遊郭跡は、宵闇が支配していた。電柱に貼られたプレートに、吉原京町通りとあるのを見て、なぜかほっとした。    (幹事・柳沢記) 


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