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旅たび倶楽部 第12回部録

2012.12.20.11:19

2012年12月15日(土) 雨のち曇り

日本橋川-神田川クルーズと皇居東御苑をめぐる

参加者: 野崎芳信、岩瀬 翠、柳沢道生(集合写真順)、飯降昌吾(魚〇本店から参加)

写真は江戸城本丸跡にて、背景は八面体の音楽堂・桃華(とうか)楽堂。

b1215集合n

1.日本橋川-神田川クルーズ
 日本橋南詰東側、水上バス日本橋発着場に集合。東京都公園協会が運航する東京水辺ラインの日本橋川-神田川クルーズ・カワセミに乗船。全長16.5m、19t、定員65名、東京水辺ラインでは最も小さい船だ。12時20分、小雨の中日本橋を出港、首都高下の日本橋川を下流に向う。江戸橋、鎧橋、茅場橋をくぐりその先で首都高と分離。湊橋、豊海橋をくぐり、隅田川に出る。視界が一気に広がり、肌寒い風が気になる。船は舳先を上流に向け、隅田川大橋、清洲橋をくぐる。右手、仙台堀川との合流点北側には芭蕉庵記念史跡展望公園が見える。新大橋、両国大橋、両国橋をくぐる。JR総武線鉄橋を前に見て、船は左に舵を切る。柳橋が見える。ここから神田川に入る。

b1215-1 カワセミ、清州橋
      東京水辺ライン・カワセミ、日本橋発着場にて              清洲橋、昭和3年(1928)竣工、国の重要文化財

 川の両岸に屋形船が何艘も停泊している中を進み、浅草橋へ。左衛門橋、美倉橋、和泉橋、神田ふれあい橋を過ぎるとJR京浜東北線などの神田川鉄橋がある。万世橋をくぐると左手に元甲武鉄道万世橋駅・交通博物館跡の赤レンガが見える。昌平橋の先にはJR総武線鉄橋、東京メトロ丸の内線鉄橋、聖橋、御茶ノ水橋と続く。JR中央線の車窓からおなじみの風景だが、船上からの眺望は新鮮である。都会の中の渓谷、両岸の緑の中に、赤・黄色の木立が点在、とてもここが人工河川とは思えない。水道橋、歩道橋・後楽園ブリッジ、後楽橋を過ぎると左手に分水路が見える。日本橋川の最上流である。

b1215-2 柳橋、旧万世橋駅
    柳橋、昭和4年(1929)竣工、中央区区民有形文化財             元甲武鉄道万世橋駅・交通博物館跡 

b1215-3 総武線、聖橋
       JR総武線神田川鉄橋、昭和7年(1932)開通           聖橋、昭和2年(1927)竣工、右側はJR御茶ノ水駅 

 船は狭い水路を左に回り、日本橋川に入ると、三崎橋、JR中央線鉄橋、新三崎橋を立て続けにくぐる。頭上に首都高が合流、あいおい橋、新川橋、堀留橋、南堀留橋、俎(まないた)橋、宝田橋、雉子(きじ)橋、一ッ橋、錦橋、神田橋、鎌倉橋、JR東京駅~神田駅間鉄橋をくぐる。新常盤橋、常磐橋、常盤橋と続く。石造アーチ橋・常磐橋は別名旧常盤橋、関東大震災後、下流に現常盤橋が架橋されたので人道橋として残され、国の史跡に指定された。一石(いちこく)橋、西河岸橋をすぎるとその先は日本橋。ここをくぐって出発点・日本橋発着場に戻る。1時間20分のクルーズを満喫した。

b1215-4 中央線、旧常盤橋
    JR中央線日本橋川鉄橋橋脚、明治37年(1907)開通      常磐橋人道橋・旧常盤橋、明治10年(1877)竣工、国の史跡 

b1215川めぐり
                                                           出典:東京水辺クルーズWeb 

2.竹橋~皇居東御苑
 東京メトロ日本橋駅から東西線で二つ目、竹橋駅で下車。隣接するパレスサイドビル地下1階の飲食店街、赤坂飯店で昼食。担々麺などをいただく。
 外に出て竹橋を渡り、平川濠沿いに西に進むと、北桔橋(はねばし)門が見えてくる。ここから皇居東御苑に入る。旧江戸城本丸・二の丸・三の丸の一部が広さ21haの公園として整備され、昭和43年(1968)から公開されている。築堤を上り、受付で入園票を受取り、北桔橋門を入ると、江戸城本丸跡。目前に巨大な方形の石垣、天守閣跡である。
 江戸城天守閣は慶長12年(1607)落成し、寛永14年(1637)に高さ58m、外観五層、内部六層となり日本一の規模を誇った。明暦3年(1675)の振袖火事で焼失し再建されることはなかった。現在は周囲44m、高さ10mの石垣のみが残る。相当な高さだが、完成時の高さは倍近い18mだったという。天守閣跡の上に登り、昭和天皇の皇后・香淳皇后の還暦を祝って昭和41年(1966)に落成した桃華楽堂を背景に集合写真。南側の芝生広場はかつて大奥があったところ。感慨。

b1215-5 北桔橋門、天守跡
 北桔橋門、江戸城本丸と直接外部に繋がり警備は厳重だった           石垣のみが残る江戸城天守閣跡 

 桃華楽堂、宮内庁楽部庁舎の南側の小径を東に歩き、汐見坂を下ると二の丸庭園である。元々宮内庁関連施設があったが、昭和43年(1968)九代将軍家重時代の図面を元に造園された。園内には昭和天皇のご発議により造成された、武蔵野の面影を残す雑木林もある。初冬の風情がいい。雨もあがった。しばし散策。
 南に歩き、広場に出る。長い木造平屋瓦葺の古建築、江戸城の警備にあたった百人番所である。その背後には、現在同様の役目を担っている皇宮警察本部がある。広場から本丸に続く坂道の傍らには大番所が復元されている。
 さらに進むと本丸跡南側の木立の先に富士見櫓が見える。三層構造で天守閣焼失後その代用とされた、江戸城本丸の数少ない遺構である。広場に戻り、北東に残る同心番所から東に進むと大手門に出る。ここで入園票を返却し東御苑を後にする。

b1215-6 二ノ丸庭園、大番所
     二の丸庭園、武蔵野の面影をしのばせる雑木林               江戸城の警備を担った大番所 

b1215-7 富士見櫓、大手門
     富士見櫓、天守閣焼失後その役割を代行した                  江戸城の表玄関・大手門 

3.東京駅~三菱一号館
 大手門から桔梗濠沿いに、内堀通りを南下。和田倉噴水公園南の交差点を東に折れる。正面に東京駅が見える。銀杏並木が美しい行幸通りである。
 徒歩数分で東京駅丸の内口駅舎前に出る。今年10月に、大正3年(1914)竣工時の姿に復原開業した。国の重要文化財である。駅舎を撮影している人数名、オープンから2ヵ月たったのに、相当な人気だ。南口に入る。ドームの内部が美しい。さらに多くの人がカメラやケイタイをかざしている。ドームの隅、8ヵ所には方角を示す干支がデザインされた彫刻。とりあえず、来年の干支、巳を探す。赤レンガ造り、西洋風のいでたちの中に、東洋のモチーフを導入した設計者・辰野金吾のこだわりがいい。
 東京中央郵便局西側の道を南に歩くと、また赤レンガ造りの建物がある。辰野金吾の師匠にあたるジョサイア・コンドルが設計し、明治27年(1894)竣工した日本初の事務用ビル・三菱一号館である。平成21年(2009)に復元された。歴史資料室では明治~昭和戦前の丸の内のビジネスマンの暮らし、風俗、文化が展示されていた。現代に通じるもの、今では異質に感じるもの、そのギャップが面白い。

b1215-8n 東京駅、三菱一号館
       復原された東京駅丸の内南口ドーム                  ジョサイア・コンドル設計、三菱一号館 

4.有楽町産直飲食街
 三菱一号館を出た頃には、街は夜のとばりに包まれていた。とはいえ、忘年会を予約していた店のオープン・17時にはやや時間があるようだ。三菱一号館南側の交差点南東に広がる東京国際フォーラムへ。構内のクリスマス商品が飾られた雑貨店をのぞく。
 有楽町駅に出て、JR高架線沿いの道を南に歩く。周囲の店もそろそろ開店の時間だ。数分で、有楽町産直飲食街に着く。ガード下に各地の産直飲食店が集う。魚〇本店・静岡・魚、馬かばい・熊本・馬、南部屋・岩手・豚、信州神鶏・長野・鶏、貝〇・北海道・貝、牛〇・北海道・牛、ちょい呑み餃子の7店である。お目当ての魚〇本店は、開店後数分というのにすでに満席。さすがに人気店、予約して正解であった。
 ここで忘年会、沼津漁港直送の海鮮料理と静岡B級グルメの店。刺身盛り、金目の煮付、桜エビかき揚げ、シラス釜揚げ、富士宮焼きそばなどなどオーダー。ここで飯降さんと合流。今宵の飲物、宮崎本店(三重県四日市市)製の焼酎・キッコーミヤが東海地方の定番ブランドであることを熱説してくれる。話に一層花が咲く。
 店を出て、東京メトロ有楽町駅で岩瀬さんは帰路に。男性陣はイルミネーション輝く丸の内仲通りを東京駅へ。歩行者の大半はカップルだったが、ほどよく飲み食いした一行には、雨上がりの夜風も心地よく、ほとんど気にはならなかった。東京駅で現地解散。

b1215-9 魚○本店、刺身
      ガード下の有楽町産直飲食街、魚〇本店                    豪快! 沼津港刺身盛り合わせ 

b1215-10 金目、イルミネーション
        伊豆の名産、金目鯛の煮付・半身                    イルミネーションきらめく丸の内仲通り 

所感
 水の史跡めぐりの第3回として、日本橋川-神田川クルーズの後、皇居東御苑などをめぐった。水の史跡という視点でこのクルーズを見れば、ハイライトは主に二つある。
 一つは橋である。なかでも震災復興事業で架橋された橋の多くは、都市景観を考慮した美しい設計である。今回のコースでは隅田川の清洲橋、両国橋、神田川の聖橋などが代表的な作品だ。さらに、震災以前からの橋にも、もとより史的価値がある。発着点の日本橋、人道橋として残った常磐橋などである。
 もう一つは神田川自体である。江戸城築城、江戸市街創成時、平川の治水対策として駿河台台地を開削し、東・隅田川への放水路を設けた。それが神田川である。御茶ノ水~水道橋間の渓谷も、元々人工の景観であり、史跡と呼ぶにふさわしい。平川下流は整備され、日本橋川と改称され、水運ルートとしても活用された。
 さらに江戸城、幾重もの濠で囲われたその姿も、見方を変えれば水の史跡といえるだろう。濠が回らされた壮大な人工空間が整備され、かなりの部分が一般に公開されている。時代を忘れた散策の後、大手門を一歩出れば、多くの車が行き交う内堀通り。投票日を翌日に控えた選挙カーの立候補者名連呼が、時計を今にリセットしてくれた。
 思えば私の子供の頃、隅田川も神田川も、悪臭漂う汚水路であった。それが、今は観光ルートになっている。これこそが、隠れた水の史跡といえるかも知れない。
 「水」をキーワードに、都市空間の創成と復興そして再生の一端を感じ取れた、半日の旅であった。                                   (幹事・柳沢記)


 



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