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旅たび倶楽部 第11回部録

2012.10.18.20:12

2012年10月13日(土) 晴


江戸~昭和の水の史跡をめぐる
見沼代用水:瓦葺伏越(かわらぶきふせこし)・通船堀 岩淵水門

参加者: 飯降昌吾(南浦和から参加)、野崎芳信、柳沢道生(集合写真順)

 写真は東京都北区岩淵、岩淵水門前にて。後方左側は大正13年(1916)に竣工し、昭和57年(1982)まで稼働した旧岩淵水門・通称赤水門。右側は昭和49年(1974)着工、昭和57年(1982)に竣工した現岩淵水門・通称青水門である。

b1013-0 集合

1.ニューシャトルで沼南(しょうなん)駅へ
 埼玉新都市交通・ニューシャトル大宮駅で野崎さんと待合せ。この路線は鉄道博物館に行くとき乗る程度。さいたま市民の野崎さんは初乗車とのこと。ゆりかもめなどよりやや小ぶりな車両、5両編成のゴムタイヤ式新交通システム。東北・上越新幹線高架脇を北に進む。大宮から10数分、8つ目の駅、沼南で下車する。

b1013-1 ニューシャトル・沼南
     新幹線高架の脇を進む埼玉新都市交通・ニューシャトル          大宮から8つ目、沼南駅(上尾市)で下車     

2.上尾市 瓦葺伏越・見沼代用水分水点
 沼南駅から南東へ徒歩約10分、県道3号を越えると周囲は田園風景に変わる。東に進むと前方に上尾市立瓦葺中学校が見えてくる。その近くに見沼代用水が綾瀬川の下を交差する、瓦葺伏越がある。伏越とはサイフォン式の水路交差をいう。また、この地点で見沼代用水は東縁(ひがしべり)、西縁(にしべり)に分岐している。

m1013用水・伏越n

 見沼代用水は享保13年(1728)に幕府役人・井沢弥惣兵衛為永が新田開発のため、武蔵国に開削した灌漑農業用水。灌漑用溜池であった見沼溜井の代替用水路であった。現在の埼玉県行田市付近の利根川大堰より取水。東縁、西縁に分岐後、東縁は東京都足立区、西縁は埼玉県さいたま市南区に至る。総延長は約84km、埼玉・東京の葛西用水路、愛知県の明治用水とならび、日本三大農業用水と称される。
 開削当初、見沼代用水と一般河川との交差は、元荒川の伏越・サイフォン式に対して、綾瀬川では掛樋(かけとい)・水路橋式が採用された。治水上、水上交通上の理由とされる。水路橋は当初木製であったが、明治41年(1908)鉄樋・レンガ橋脚に改められた。さらに、昭和60年(1985)伏越に改造され、今日に至っている。
 瓦葺伏越付近には、掛樋井(かけとい)史跡公園という小公園があり、木製掛樋を示した絵図のレリーフが置かれていた。また、綾瀬川を渡る立会橋に沿った川の両岸に、レンガ橋脚の遺構が見られた。

b1013-2 掛樋井公園
 瓦葺伏越から見沼代用水下流を望む、右が西縁、左が東縁           掛樋井史跡公園に置かれた木製掛樋絵図のレリーフ     

b1013-3 瓦葺伏越
   綾瀬川に架かる立会橋かたわらの赤レンガ橋脚遺構                瓦葺伏越の北・上流側に設置された水門

3.蓮田市 見沼代用水遊歩道~蓮田駅
 上尾市と蓮田市の境界でもある綾瀬川を越え、蓮田市に入る。瓦葺伏越の上流側に水門がある。ここで水量の調節と東縁、西縁の分水が行われている。
 その近くに石碑が3つ、縦長2つの右は明治43年(1909)に建立された「改修懸樋碑記」でレンガ造りの懸樋の竣工を記念したもの、右は大正5年(1916)に建立された「懸樋修繕碑記」で明治43年の洪水で倒壊した懸樋の修復を記念したもの。横長の碑は平成元年(1989)に建立された「埼玉合口(ごうぐち)2期事業 見沼代用水路東西竣功記念碑」である。合口とは、河川に設置された何系統もの取水口を1か所に集約、新しい水利系統に統合し、取水量の確保と配分、施設の維持管理面を効率化する手法である。
 見沼代用水と綾瀬川の交差の、水路式・懸樋からサイフォン式・伏越への改修は、昭和43年(1968)に完了した利根川導水路合口第1期事業、および平成7年(1995)に完了した合口第2期事業の一環として実施された。瓦葺伏越一帯は古来、低湿地帯だったという。そこに堤を築き水路を通した。今も用水路は周囲から一段高い位置にある。そして、合口第1期~第2期事業の成果として、コンクリートで護岸され近代的な農業用水路に変貌し、満々とした水を下流に供給している。
 水路に沿って遊歩道がある。東北本線の線路が近づき、そして遠ざかる。遊歩道には桜並木、周囲は田園風景、近頃あまり見なくなった手作業での稲刈り、田んぼの一画に栽培されているのはレンコン、「蓮田市の蓮田だぁ」とつい口にしてしまう。徒歩10数分、見沼代用水と遊歩道は県道311号と交差する。
 ここを右折、県道を北東に10分ほど歩けば蓮田駅に出る。さて腹ごしらえ、駅前の「蕎麦ダイニング 空楽(そら)」(蓮田市本町2-23)へ。店名にたがわずシックな外観、テラス席に案内される。ここで、せいろそば御膳をいただく。ウォームアップされた体を、のど越しの良い蕎麦がクールダウンしてくれる。
 食後、店から徒歩1分ほどの蓮田駅か宇都宮線の電車で大宮へ。大宮から京浜東北線で南浦和へ。ここで武蔵野線に乗り換える。

b1013-3b 石碑
左が懸樋修繕碑記・大正5年建立、右が改修懸樋碑記・明治43年建立  埼玉合口2期事業 見沼代用水路東西竣功記念碑・平成元年建立

b1013-4 見沼代用水
          満々と水をたたえた見沼代用水                     遊歩道かたわらの田んぼでは稲刈り

b1013-5 SORA
          蓮田駅前の蕎麦ダイニング 空楽                         せいろそば御膳 950円


4.さいたま市緑区 歴史の道・見沼通船堀
 南浦和駅武蔵野線下りホームで飯降さんと合流、1駅隣の東浦和駅で下車。駅前広場から東へ坂道を下ると景観は市街地から田園風景へと劇的に変化する。駅からほんの徒歩3分ほどで見沼代用水西縁に出る。
 水路沿いに南に歩くとすぐに水門、見沼代用水と見沼通船堀の接点である。見沼代用水は、それまで農業用水を供給していた見沼溜井(ためい)を干拓し、見沼たんぼと呼ばれた農地とする事業にあたり、不足する下流の農業用水供給を目的として開削された。通船堀の位置には見沼溜井を仕切る、全長八丁(約870m)の八丁堤が築かれていた。そこは、左右の丘陵地帯の間隔が最も狭かった場所である。
 見沼代用水は農閑期には水運にも利用された。農業用水を供給した代用水・東縁、西縁と、排水路の役目も担った芝川との間には水位差があった。そこで船の通行のために享保16年(1731)、八丁堤沿いに見沼通船掘・別称八丁堀が設けられた。芝川~東縁・芝川~西縁に、それぞれ第一の関、第二の関の2つの閘門(こうもん)、計4つの閘門を有した日本最古の閘門式運河の一つ、国史跡である。

m1013通船堀
 (地図3)見沼通船堀                                                 電子国土ポータルを元に作図

 堀に沿って「歴史の道・見沼通船堀」という遊歩道が整備されている。通船堀全体の案内板、進めば「史跡 見沼通船堀 西縁仮締切」、さらに「西縁第二の関跡」の標識が立つ。堀を小さな橋で渡り、県道103号に続く坂を上ると、古びた小さな社がある。附島(つきしま)氷川女体神社である。見沼溜井の造成によって水没した社領20石の代替え地として、附島村内に寛文6年(1629)以降に社領が与えられ、遷座された。市の文化財に指定されている本殿は、金網で防護されていた。
 歴史の道に戻る。進めば行く手に木製の構造物、復元された西縁第一の関である。見沼田んぼへの取水路であった見沼代用水と、排水路であった芝川との水位差は約3mあったという。それを調整し、水運を確保した施設・閘門だ。閘門式運河として世界的に知られているのはパナマ運河、その開通は1914年のこと。規模こそ異なるがその180年余前にその原理を用いた施設が実用化されていたのだ。
 前方の路上に鳥が数羽、鳩かと見れば鴨である。水上ではまま見るが、地上では珍しい。何かをついばんでいてなかなか逃げない。さらに進めば、芝川に行き当たる。ここまでが通船堀西縁、ここで県道に出て八丁橋を渡る。橋から芝川上流を望めば、左手に通船堀西縁との、右手に東縁との接点が見える。橋を渡るとまたお社がある。通船堀開通の翌年、享保17年(1732)に水難防止を祈願して創建された水神社である。
 通船堀東縁に沿った歴史の道に戻る。やがて行く手に復元された通船堀東縁二の関、そのすぐ先に東縁一の関がある。平成20年(2008)8月に実際に舟をここの堀に浮かべ、東縁一の関~二の関間で閘門開閉実演が行われたという。大変興味深い。できれば定例的に実施してほしいものだ。
 しばらく歩けば見沼代用水東縁が見えてくる。代用水東縁沿いに歩き県道に出ると、赤い鳥居が見える。下山口稲荷神社という、下山口地区の稲荷社である。

b1013-6 代用水・通船堀・西縁
      東浦和駅から徒歩約3分、見沼代用水西縁                       見沼通船堀 西縁第一の関

b1013-7 芝川・水神社
  八丁橋から芝川上流、通船堀西縁、東縁との交点を望む                      八丁橋近くの水神社

b1013-8 通船堀・東縁
             見沼通船堀 東縁第二の関                            見沼通船堀 東縁第一の関

5.川口市 見沼代用水東縁~木曽呂(きぞろ)富士塚
 見沼代用水東縁を渡り、さいたま市緑区から川口市に入る。代用水東縁のかたわらに、「木曽呂富士塚」の案内板があった。表示にしたがって路地を歩くと、右手に小高い丘と石段があった。これが富士塚だ。
 江戸時代、富士山浅間神社信仰の布教に伴って、関東を中心に富士山を模した塚を築くことがブームになった。現在の埼玉県には約300基、千葉県には約160基、東京都には約110基が築かれたという。木曽呂富士塚は寛政12年(1800)に構築された。埼玉県内最古のもので、国の有形民俗文化財に指定されている。高さは5.4mとのことだが、見沼代用水東縁東側の崖の上にあり、代用水からはより高く見上げる位置にある。富士塚に上る。頂上には特に何もない。県道103号に戻り、県道を東に数分歩き、木曽呂バス停へ。国際興業バスで浦和美園駅に向かう。

b1013-9 代用水東縁・木曽呂富士塚
     見沼代用水東縁、前方の小高い所が富士塚                    木曽呂富士塚、国指定民俗文化財


6.東京都北区 岩淵水門~赤羽駅
 浦和美園駅は埼玉高速鉄道の始点、そこから同鉄道の終点であり東京メトロとの接続駅でもある赤羽岩淵駅まで7駅約20分、初めて埼玉高速鉄道全線を通しで乗った。
 赤羽岩淵駅1番出口を出て、国道211号・北本通り北側の路地を北に進む。5分ほど歩くと八雲神社がある。創建時期は不明であるが、江戸時代には、将軍が日光東照宮に参詣する際に利用した日光御成道の岩淵宿の鎮守として崇敬された。 荒川流域にあるため水神社が祀られている。更には、祭神である須佐之男尊(すさのおのみこと)の「須佐之男尊がキュウリの上に降り立ったことから、 キュウリを尊ぶようになった」という伝承があり、古くは氏子たちはキュウリを食べなかった、とも伝わる。
 神社のすぐ北側には新河岸川、その先の堤防のさらに先は荒川だ。荒川堤防に出ると東・下流側300mほど先には旧岩淵水門が、その約200m先には岩淵水門がある。

m1013岩淵
 (地図4)岩淵水門周辺                                               電子国土ポータルを元に作図

 暮れかかった、広い堤防の上を東に歩く。旧岩淵水門に近づく。通称赤水門。現荒川と隅田川の分流点に設置された、9m幅のゲート5門で構成される水門。大正5年(1916)着工、同13年(1924)竣工した。新水門の竣工とともにその役目を終えた。産業考古学会の推薦産業遺産、東京都選定歴史的建造物に指定されている。
 旧岩淵水門上の歩道を歩き、その先の島へ。ここは元々現荒川と隅田川を隔てる陸地の突端であったが、現岩淵水門着工に伴って新しい水路が開削され、島となった。島から現岩淵水門を眺めると、右側のゲートの上に、東京スカイツリーが顔を覗かせていた。
 堤防に戻り、岩淵水門へ。通称青水門。旧水門の老朽化や左右不均等の地盤沈下発生などで、約200m下流に設置された新水門。10m幅のゲート3門で構成。昭和49年(1974)着工、同57年(1982)に竣工した。岩淵水門上の歩道を半ばまで歩き、戻る。
 暮れかかった堤防を西に戻り、新河岸川を渡り、八雲神社手前の路地を西に数分歩く。小山酒造の工場が見えてくる。創業は明治11年(1878)の老舗、東京都23区内に唯一残る酒蔵、代表銘柄は丸眞正宗である。国道211号・北本通りに出て工場入口を覗くと、すでに営業時間は終わっていた。並びの小山酒店が開いており入る。親父さんに話を聞くと、かつて酒の醸造と小売りの兼業が禁じられていた時代、兄弟で兄は製造、弟は販売、と分担し別会社としたとのこと。ここで「辛口 丸眞正宗」4合瓶を調達する。
 夜のとばりにつつまれた街を、赤羽駅に向かって歩くこと約10分。駅北側の飲食街の一隅にあった「醸(かも)し屋素郎」(北区赤羽1-39-8)で夕食。和モダン調の店内の雰囲気も料理、地酒・焼酎のラインアップも粋で、お会計もリーズナブル。天候にも恵まれた、さわやかな旅の一日の締めとなった。

b1013-10 八雲神社・新河岸川
       日光御成道の岩淵宿の鎮守、八雲神社                    新河岸川下流を望む、空には秋の鰯雲

b1013-11 岩淵水門
          旧岩淵水門、通称赤水門                       岩淵水門・通称青水門、右ゲートの上には東京スカイツリー

b1013-12 小山酒造・醸し屋
  東京23区に唯一残った酒蔵・小山酒造の販売店・小山酒店                 赤羽駅北側飲食街にある醸し屋素郎

所感
 前回・第10回部会で見沼代用水東縁の最南端、見沼代親水公園を訪れた。今回は、水の史跡シリーズ第2回として、見沼代用水の見どころ、見沼代用水と綾瀬川が交差し、また東縁と西縁の分水点でもある瓦葺伏越と、国の史跡に指定されている見沼通船掘、さらに新旧の岩淵水門をめぐった。
 見沼通船堀は、4ヵ所あった閘門のうち、3ヶ所が復元されており、案内板なども充実していた。瓦葺伏越は、思いのほか多くの遺構や石碑が残っていた。ただし、石碑などの案内・解説などは充分とはいえなかった。掛樋・水路橋式から伏越・サイフォン式への水路交差の変遷、石碑が語る近世から近代、さらには現代への見沼代用水全体の変貌など、技術史的にも見るべきところは多い。通船堀同様、案内や解説の充実を望みたい。治水は、現在もなお重要な課題である。
 散歩日和の秋の一日、久しぶりに、天候を心配せずに歩くことができた。                                             (幹事・柳沢記)
 

 
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