旅たび倶楽部 第50回部録

2017.09.21.13:40

太田市の古墳群を巡る

2017年9月15日(金) 晴  

 企業城下町、外国人労働者の多い街というイメージの群馬県太田市。当地には、全長200m超・東日本最大の前方後円墳・天神山古墳はじめ100m超の茶臼山古墳、朝子塚(ちょうしづか)古墳など大型前方後円墳が3基ある。さらに、多くの帆立貝形古墳、円墳が街中に点在する高林古墳群などもあり、古墳の宝庫と言いうる。今回は、太田駅をスタートに、天神山古墳~高林古墳群~朝子塚古墳~茶臼山古墳というルートで、古墳群とその周辺の史跡を巡った。

参加者:  野崎芳信、柳沢道生

集合写真:  天神山古墳後円部墳頂、三角点石標にて

b0915-0 天神山古墳-集合
  

1. 太田駅~追分地蔵尊
 新宿から湘南新宿ラインで久喜駅へ。ここで東武伊勢崎線に乗り換え。この電車は途中の館林止まり。館林で太田行電車に乗り換える。この車内で野崎さんと合流。館林から約30分、久喜からは1時間半ほどかかり、太田駅に着く。
 太田駅北口に出る。駅前広場の西側には1階がガラス貼りの近代的な建物がある。太田市図書館・美術館、駅前にあり気軽で便利な公共施設だ。駅前広場を北に進むと県道2号に出る。東に歩けばすぐ、左手に株式会社SUBARUの群馬製作所本工場ビルが見えてくる。今年の4月に富士重工からブランド名に社名変更した。企業城下町太田市にとってお城の本丸にあたる。
 さらに東に進めば県道の路傍に小さなお社がある。追分地蔵尊、当地は日光例幣使街道と古河道の分岐点で、かつて追分と呼ばれた。道中安全などを祈願し、享和3年(1803)に造立された。傍らには石造の道標がある。

b0915-1 太田駅

b0915-2 スバル-地蔵

2. 天神山古墳~女体山古墳
 県道2号をさらに東に進めば東武伊勢崎線の高架がある。それを潜って約5分、右手にこんもりとした森が見えてくる。天神山古墳、全長約210mの前方後円墳。東日本最大で全国26位の規模、5世紀中頃の築造と推定される。勿論、このシリーズで訪問した古墳で最大だ。近づけばその大きさがよく分かる。墳丘に登れば小さな石標がある。三角点、標高55.1mを示す。ここで集合写真。
 天神山古墳の北側、住宅地の一隅に径20mの小円墳がある。大古墳と同時期に、計画的に築造された付属の小古墳を陪塚(ばいちょう)という。この古墳は天神山陪塚A号墳で、天神山古墳の主軸延長線上にある。別称・九合(くあい)村67号墳、新田郡九合村は当地の古称である。
 住宅地の中を東に進めば、また大きな森が見えてくる。これは女体山古墳、全長106mの帆立貝型古墳。天神山古墳とほぼ同時期に築造と推定される。天神山古墳とともに国の史跡に指定されている。なお、天神山古墳はこの古墳と対をなし、かつては男体山と呼ばれていたという。

b0915-3n 天神山古墳

b0915-4 陪塚A-女体山

3.大日山古墳~イオンモール太田
 女体山古墳東側の道路・太田環状線を北に歩く。5分ほどで右手に広大な駐車場が見えてくる。その先にショッピングセンター・イオンモール太田がある。さらに北に進めば太田環状線と国道122号との交差点があり、信号の先に森が見える。大日山古墳、径40mの円墳である。別称・休泊(きゅうはく)村1号墳。6世紀初頭の築造と推定。山田郡休泊村は当地の古称である。
 太田環状線を南に戻り、駐車場の脇からイオンモール太田に入る。内部は思いのほか広く、平日なのに人出も結構多い。出店しているスーパーのサービスカウンターで訊き、お目当ての店に向かう。無尽蔵というラーメン店、越後秘蔵麺と銘打った柿ポリフェノール入りの麺が売りものだという。それを確かめるべく、つけ麺をオーダー。野崎さんは白胡麻、私は魚介豚骨、ともに907円。「太麺or細麺?」と聞かれ、太麺を指定。出てきた麺は食感・コシともに満足であった。食後、バス停の場所を訊き、シャトルバスで太田駅南口に向かう。 

b0915-5 大日山-イオン

b0915-5b 無尽蔵昼食


4. 御嶽神社古墳~諏訪山古墳
 太田駅南口から朝日バス、熊谷駅行に乗り国道407号を南へ約10分、高林バス停で下車する。北にやや戻り、高林交差点の北西、今通ってきた国道から小さな丘の上に鎮座する神社が見える。御嶽神社、この丘が御嶽神社古墳である。別称・沢野村103号墳。元々100m級の前方後円墳であったが、現状はかなり削られている。6世紀後半の築造と推定、新田郡沢野村は当地の古称である。
 高林交差点から県道142号、別称・東国文化歴史街道を西に向かう。この街道の南側、国道407号の西側に高林古墳群が分布している。帆立貝形古墳7基と80基以上の大小円墳が確認され、北側の西原、東側の鶴巻、南側の不動の3支群から構成される。交差点から7分ほど歩き南下、長勝寺に向う。
 長勝寺墓地には愛宕山古墳、別称・沢野村89号墳がある。全長44mの帆立貝形古墳だ。墳頂には古い墓石が並んでいた。長勝寺から南に向かう小径、右手に地蔵堂がある。その下の土塊は円墳のようだ。さらに南に高林神社がある。その境内に円墳、沢野村82号墳があるはずだ。かなり削平され、わずかな痕跡が残るという。探索するも特定できず。この辺りまでが西原支群である。
 その南東、南に向かう道路の西側、資材置場の先に古墳が2基見える。北側が沢野村47号墳、全長55mの帆立貝形古墳、南側が諏訪山古墳、別称・沢野村54号墳、全長72mの帆立貝形古墳。この辺りから鶴巻支群である。

b0915-6 御嶽神社-愛宕山

b0915-7 47-諏訪山

5. 沢野村63号墳~朝子塚古墳
 資材置場前の道を南下、数分で西に曲りやや行けば左手に大きな木と小さな丘が見える。沢野村47号墳、全長55mの帆立貝形古墳、6世紀初頭の築造と推定されている。丁字路を突きあたり、その北側の小径を北西に進む。左手に中原古墳、全長56mの帆立貝型古墳があり、その先右手には沢野村74号墳、全長74mの帆立貝型古墳がある。ともに林の中にあり、全貌は良く見えない。
 小径を北西~北~西に進むと県立がんセンターがある。正門を入ってすぐ右手に古墳がある。沢野村77号墳、全長36mの帆立貝形古墳である。県立がんセンター南側の道を西に進む。この南側に高林西原公園があり、そこに高林西原公園古墳という径20mの円墳があるばずだが、肝心の公園が見当たらない。行きつ戻りつし、探索を断念。この辺りまでが鶴巻支群である。
 県立がんセンター西側の道を北に歩く。新たに開発された地区があるのだろうか。準備した地図と道が異なるようだ。スマホで現在位置を確認しつつ北に進むと行く手に大きな森が見える。朝子塚古墳である。全長123mの前方後円墳、4世紀末~5世紀初頭の築造と推定、県の史跡である。県道142号の交差点から石段があり、後円部に登れる。墳頂には雷電神社が祀られている。
 県立がんセンター以降の何やかやで時間をロスし、予定していたコミュニティ・バスは行ってしまった。やむなく、タクシ-を呼び、円福寺に向かう。

b0915-8 63号-77号

b0915-9 銚子塚

6. 円福寺茶臼山古墳
 太田市北西部、別所町にある御室山円福寺は鎌倉時代後期、新田本宗家第四代・政義が創建したと伝わる真言宗の寺院である。山門を潜れば眼前に、裏山と見まがう長大な古墳が広がっている。円福寺茶臼山古墳、全長157mの前方後円墳、4世紀後半築造と推定、県の史跡である。山門正面に古墳への石段がある。
 本堂にお参りした後、石段を登れば古墳中央部に千手観音堂かあり、後円部の一部が削られ十二所神社が鎮座している。さらに、後円部の墳頂に石碑が立ち、「国良親王御陵」と刻されていた。国良親王は後醍醐天皇の皇子・宗良親王と新田義貞の娘・山吹姫との間の子、後醍醐天皇と新田義貞は鎌倉幕府討幕までは共闘関係にあったが、その後敵対した。義貞が勝利し室町幕府を開いた。その両者共通の孫が、ここに葬られているのだろう。感慨深い。
 後円部の北側にある十二所神社の参道を下る。藪蚊がうるさくつきまとう。茶臼山古墳の周囲を歩く。住宅に囲まれ全体を見渡すことは難しい。再び山門を潜り西側の墓地へ。その北端に覆屋があり、新田荘(にったのしょう)遺跡・新田氏累代の墓、20基余の石層塔・五輪塔群が保存・展示されている。新田荘遺跡は東国の中世荘園の遺跡として11ヵ所が、国の史跡に指定されている。

b0915-10 円福寺

b0915-11 茶臼山

7.脇屋入口~太田駅
 円福寺山門左手の道を直進・北行すれば、徒歩数分で県道2号・古河街道に出る。古河街道は前橋と古河を結んだ北関東の主要道であった。街道に出たところに脇屋入口バス停がある。ここからコミュニティ・バス、おおたシティライナーに乗り、太田駅北口に向かう。料金は均一制、大人200円・高校生以下と60才以上が100円とある。何だか嬉しくなった。
 太田駅北口に着き、帰りの東武特急・りょうもう号の特急券を購入。乗車時間まで太田駅北口r西側商店街にある七五食堂で軽い夕食にする。店頭には当店お薦め、群馬名物・ソースカツの立て看板。少し重いなぁ、と思って他を見ると、生ビールとツマミのセットが何点か、「おもてなしセット950円」はツマミ三点盛でメインは適量のソースカツだ。開店間もない店内に入り、これをオーダー。
 ほどよい生ビールとソースカツに満足し、駅に向かう。太田市図書館・美術館には灯が点り、テラス席は幾組かのカップルで賑わっていた。

b0915-12n 七五食堂

所 感
 前回、太田市を訪れたのは20年ほど前、当時の富士重工業の協力会社への商用であった。太田駅前を降りると、いかにも「重工業」の街であった。今回、駅を降りた印象はローマ字のSUBARUにふさわしかった。駅前の市立図書館・美術館、特に夕闇の中で通りから見える利用者のシルエットに、その感を深めた。
 意図したわけではないが、50回目の今回、過去最大、初めての200m超の天神山古墳が訪問できた。中でも天神山古墳の全貌が、人工の遮蔽物なしに眺められたのは、古墳探訪冥利につきる経験であった。多少のインシデントがあったものの、この眺めだけで満足である、とは少々言い過ぎか。  (幹事・柳沢記)





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旅たび倶楽部 第49回部録

2017.08.01.19:07

宇都宮の古墳群と大谷の史跡を巡る

2017年7月26日(水) 曇り  

 今回は宇都宮市北方、長岡横穴墓群~瓦塚古墳群へ。次いで宇都宮市西方、大谷(おおや)地区の大谷公園、大谷観音、大谷資料館・地下採掘場跡などを巡り、最後に宇都宮市南方、東武線西川田駅近くの塚山古墳群を巡った。一日中曇り空、ある意味で散歩日和、降雨が心配だったが、最後の塚山古墳群でパラパラ来ただけ、熱中症を気にせず巡れた。

参加者:  柳沢道生、野崎芳信

集合写真:  大谷資料館、地下採掘場跡入口にて 

b0726-0 大谷資料館
 
1. 長岡横穴墓群
 湘南新宿ライン宇都宮行の車内で待ち合わせ。10時過ぎに宇都宮駅着。西口から関東自動車バス豊郷(とよさと)台方面行に乗車し10数分、豊郷台入口で下車。バス停から長岡街道を西に10分余歩けば長岡横穴墓群に至る。長岡百穴とも呼ばれる。南面する軽石凝灰岩の傾斜面に、中央に長岡百穴観音堂があり、東側に東群44基、西側に西群8基の計52基の横穴が開口、7世紀前期頃に造成と推定。横穴は縦横各1m、奥行き約2m、ほぼすべての穴の壁面に地蔵菩薩像や馬頭観音像が彫られ、室町時代から江戸時代の作と推定される。

b0726-1 長岡横穴-1

b0726-2 長岡横穴-2

2. 瓦塚古墳群
 長岡街道を戻り西に向かう。数分で瓦塚古墳の案内があった、ただし、古墳群全体の図は示されていなかった。斜面を登る小路の左側に円墳が何基かあるはずだ。斜面を覆う木々、墳形はよく分からないが、案内板で20号墳、18号墳が確認できた。さらに登れば23号墳、これは墳形がよく分かる。
 尾根に出ると、瓦塚古墳群の主墳・瓦塚古墳がある。別称・瓦塚24号墳、全長約50mの前方後円墳、6世紀後半~7世紀の築造と推定。この周囲、東方にも円墳が何基かあるはず。竹藪や草地を歩き回ったが、円墳らしきもの1基を見出したのみ。案内板はない。宇都宮市内最大級の古墳群であり、市の史跡に指定されているが、見学者に適した環境ではなかった。北側の階段を降りれば帝京大学キャンパスにでる。帝京大学バス停から関東自動車バスで宇都宮駅へ。

b0726-3 瓦塚古墳群

3.大谷そば~大谷公園
 宇都宮駅西口から関東自動車バス立岩行に乗り約30分、大谷観音前で下車。南に徒歩数分、大谷公園南入口側に大谷そばがある。ここで昼食。この店には栃木名産のキノコを用いた、ちたけそばがある。かけそば方式と、つけそば方式があり、後者を頼んだ。乳茸が由来というその出汁を楽しむ。
 大谷公園は大谷石の採掘場跡地を公園として整備し、昭和31年(1956)に開園した。園内には太平洋戦争の戦没者の慰霊と世界平和を祈念し造立された高さ約27mの平和観音像があり、磨臼(すりうす)のような形をしたスルス岩、天狗が投げたという伝承が残る天狗の投げ石などの奇岩群が見られる。 

b0726-4 大谷そば

b0726-5 大谷公園

4.大谷寺・大谷観音、大谷景観公園 
 大谷公園の北東に大谷寺がある。山号は天開山、天台宗の寺院である。大谷石凝灰岩層の洞穴内に堂宇を配する日本屈指の洞窟寺院。本尊は、凝灰岩の岩壁に彫られた丈六(約4.5m)の千手観音で、一般に大谷観音と呼ばれる。弘仁元年(810)に空海が千手観音を刻んで創建したと伝わる。平安末期には現代に残される主要な磨崖仏の造立がほぼ完了、鎌倉時代初期には鎌倉幕府によって坂東三十三箇所の一に定められたと推定される。本尊の石造千手観音菩薩立像など、大谷石の壁面に掘られた石心塑像群は大谷磨崖仏として国の特別史跡及び重要文化財に指定されている。大谷観音、磨崖仏や境内の石仏を拝観し、宝物館を見学、庭園の池に弁天堂と白蛇の置物があった。
 大谷寺から北に徒歩数分、姿川沿いに大谷景観公園がある。大谷石のむき出しになった岸壁の迫力ある景観が楽しめ、国の名勝に指定されている。

b0726-6 大谷観音

b0726-7 弁天堂-景観公園

5.大谷資料館
 大谷景観公園から姿川を渡り、東~北へ徒歩数分、大谷資料館がある。大谷石の採掘の歴史を紹介する資料館。展示場には江戸中期から昭和34年 (1959) 頃までの手掘り時代の道具や採掘方法、運搬方法の変遷などの資料を展示している。圧巻は地下採掘場跡。2万平米にも及ぶ大空間で、深さは30m、最深部は地下60mもある巨大な地下空間、通坑内の平均気温は8℃前後。切り出された石は約1千万本、帝国ホテル建設にも使われた。地下の巨大な建造物といった感があり、巨大なモニュメントや、地下ギャラリーも整備されている。コンサートや演劇、ショー、能楽などの会場にも利用されるという。
 地下の冷気と雰囲気を楽しみ地上に戻る。姿川の橋の脇にある資料館入口バス停から関東自動車バス宇都宮駅行に乗り約20分、東武駅前で下車。

b0726-8 大谷資料館-1

b0726-9 大谷資料館-2

6. バリサイカフェ
 バス停から南に徒歩数分、東武宇都宮駅前・東武百貨店西側にあるバリサイカフェで小休止。表の看板から食事メニューも充実していることが窺える。ドリンク類もコーヒー、ティー、ソフトドリンク類はもとより、ビール、ワイン、バーボン、カクテルなど気になるモノが並ぶ。
 さほど、時間に余裕がある訳でなく、アイスコーヒーをオーダー。すると、ねじ式のフタはついたグラスカップで出てきた。見ていると「ウチのコーヒーは有機栽培で、飲む前に撹拌するとおいしくなるんです」と店員さん。フタを締めて撹拌してくれた。確かに美味い、そして珍しい。
 東武宇都宮駅から始発電車に乗り、3つ目の西川田駅で下車。

b0726-10 バリサイカフェ

7.塚山古墳群
 西川田駅東口から通称・国体通りを東に進む。周囲は栃木県総合運動公園、昭和55年(1980)、第35回栃の葉国体の主会場となった。現在、2022年開催予定の第77回いちご一会とちぎ国体に向け、工事が行われている。陸上競技場南側を南下、国道121号・宇都宮環状道路に出て南東に進むと塚山古墳群がある。
 塚山古墳群は5世紀後半築造と推定される9基の古墳を確認。内4基が保存・公開され、県の史跡に指定。宇都宮環状道路建設に際して、本古墳群保護のためにトンネルが設けられた。敷地内に入ると手前に塚山6号墳、径20mの円墳があり、その後方に主墳・塚山古墳、全長98mの前方後円墳がある。その西側には塚山西古墳、全長63mの帆立貝型古墳、南側には塚山南古墳、全長63mの帆立貝型古墳がある。敷地内を一巡し、塚山古墳の墳頂に登る。
 宇都宮環状道路に戻り、兵庫塚入口バス停から雀宮駅へ、と思っていたら西川田方向のバス停はあったが、雀宮駅方向のバス停が見当たらない。ウロウロしていたらそれらしいバスが過ぎ去る。やむなく、タクシーで雀宮駅へ。

b0726-11 塚山古墳群-1

b0726-12 塚山古墳群-2

所 感
 今回のハイライトは大谷資料館・地下採掘場跡。2015年12月に見学した首都圏外放水路の地下施設に匹敵する、いや規模はそれを上回るだろう。
 古墳について述べれば、市指定史跡・瓦塚古墳群と県指定史跡・塚山古墳群の格差が気になった。かたや自然のまま状態、一方はトンネルまで掘って史跡を保護している。宇都宮市教育委員会の奮起を促したい。
 最後の兵庫塚入口バス停問題、帰宅後調べて見ると、どうやら雀宮駅方向のバス停は宇都宮環状道路ではなく、兵庫塚入口交差点南側、兵庫塚街道沿いにあったようだ。事前の調査不足、今後の糧としたい。     (幹事・柳沢記)








旅たび倶楽部 第48回部録

2017.07.01.09:50

南武線・田園都市線沿線の古墳群を巡る

2017年6月23日(水) 晴れ  

 今回はJR南武線沿線、府中市の御嶽塚・高倉古墳群、東急田園都市線沿線、川崎市高津区の西福寺古墳、宮前区の馬絹古墳、横浜市青葉区の赤田2号墳・市ヶ尾横穴墓群・稲荷前古墳群などを巡った。スタートは平成21年(2009)に開業した、南武線では最も新しい西府(にしふ)駅。構内には『国指定史跡・武蔵府中熊野神社古墳』の横断看板が掲げられていた。

参加者:  柳沢道生、岩瀬 翠(分倍河原駅まで)、野崎芳信

集合写真:  武蔵府中熊野神社古墳にて

b0623-0 熊野神社古墳-集合

1.西府駅~府中本宿
 11時西府駅に集合。3人とも当駅で下車するのは初めて。まず南口へ。徒歩2分ほどで御嶽塚古墳がある。ここも駅前古墳だ。多摩川左岸台地に分布し、13基が確認された御嶽塚古墳群の主墳。径25mの円墳、6世紀~7世紀初築造と推定。市の史跡に指定され、周囲は古墳公園として整備されている。
 西府駅に戻り北口に。北に徒歩3分程で甲州街道に出る。甲州街道を西に3分程歩けば武蔵府中熊野神社だ。社殿北側に国の史跡・武蔵府中熊野神社古墳がある。葺石で覆われ、築造時の姿が再現されている。国内最大・最古の上円下方墳。三段築成、1段目が辺32mの方形、2段目が辺24mの方形、3段目が径16mの円形。高さは復元高で約6m。7世紀中頃~後半築造と推定。
 境内に設置されている展示室を見学、事務室に石室見学を申し出ると、ヘルメットと懐中電灯を貸してくれ、解説してくれた。展示室に付随している石室は、原寸大に復元されたものだ。実物ではないが、臨場感は充分にあった
 熊野神社から甲州街道を東に4分程歩くと本宿交番前交差点。その南西側、交番に隣接して本宿常夜燈がある。文化8年(1811)造立、火伏せの神・秋葉大明神の神名が刻されている。太平洋戦争末期まで現役であったという。

b0623-1 御嶽塚-熊野神社社殿

b0623-2 玄室-常夜燈

2. 西府村役場跡~首塚古墳
 本宿交番前交差点から新府中街道を南に。次の信号の東側に西府村役場跡碑がある。北多摩郡西府村は明治22年(1889) に四ツ谷・本宿・中河原の三ヵ村が合併し発足。明治33年(1900)当地に村役場が置かれた。昭和29年(1954)には府中町・多磨村と合併し府中市が発足し、旧村役場は市役所の西部出張所となる。西部出張所は平成元年(1989)西府駅の西側に移転している。
 村役場跡碑の向いに役場道という石標がある。この小路の通称にようだ。その役場道を東に進むと数分で右手に本宿稲荷神社がある。越前の戦国大名・朝倉義景が天正元年(1573)に滅亡後、その一族が朝倉氏の氏神・稲荷大明神として当社を創建したと伝わる。社殿に掲げられた扁額には松平定信の筆により稲荷大明神とある。文化12年(1815)の作である。
 本宿稲荷神社から住宅地の中を東~南~東と進み北側の路地を入った先に高倉20号墳がある。御嶽塚古墳群の東側に分布する高倉古墳群の現存する1基。径19mの円墳、6世紀後半~7世紀築造と推定。耳塚ともいう。
 高倉20号墳から東に徒歩約5分、住宅地の一隅に稲荷社の祠があった。ここが高倉古墳群の現存する1基、首塚古墳である。径10mの円墳であったが、現状は墳丘の大半が削られていたようだ。

b0623-3 西府村役場跡-稲荷大明神

b0623-4 高倉20号墳-首塚古墳

3.浅間神社~分倍河原駅
 首塚古墳から先程の道に戻ると浅間神社がある。鳥居前に石碑が数基並ぶ。周囲を木枠で囲まれている石碑がある。屋敷分の庚申塔、市内で最も古い庚申塔で、延宝2年(1674)造立、本尊の青面金剛像と三猿が彫られている。
 浅間神社前を南下する道は古鎌倉街道である。南へ徒歩約3分、右手にまた神社がある。天王宮八雲神社、社殿の後に高倉古墳群の現存する1基、天王塚古墳がある。径14mの円墳、6世紀後半築造と推定されている。
 さらに古鎌倉街道を南に歩き、南武線踏切を渡り、最初の信号を西に曲がれば、そば処よし木がある。ここで昼食。石臼で挽いた極細麺が美味い。
 古鎌倉街道を戻り、南武線踏切手前を東に入り。やや行けば高倉塚古墳がある。高倉古墳群の主墳、径20mの円墳である。6世紀前半築造と推定。築造時の姿に復元され、周囲は古墳公園として整備されている。 
 住宅地の中を東~南~東に進めば前方に京王線の高架が見えてくる。それを潜れば分倍河原駅南口、駅前の広場には公元3年(1333)の分倍河原の戦いで鎌倉幕府軍を破った新田義貞の像がある。ここで岩瀬さんは帰宅の途に。

b0623-5 浅間神社庚申塔-天王塚古墳

b0623-6 よし木-高倉塚古墳

4.武蔵溝ノ口駅~宮前平駅 
 分倍河原駅から南武線で武蔵溝ノ口駅へ。溝の口駅南口バス乗場から川崎市営バス溝22系・梶が谷駅行に乗り10数分、大原バス停で下車。南に歩くと前方に緑が見えてくる。梶ヶ谷第三公園、中央の小高い塚が西福寺古墳。径35mの円墳、6世紀中葉築造と推定。神奈川県の史跡に指定されている。
 梶ヶ谷第三公園から南西に坂を下ると行く手に梶ヶ谷小学校、その南側を通り登り坂へ、新興住宅地の中の道を概ね南西方向に進む。徒歩7~8分、馬絹(まぎぬ)古墳公園の案内板。公園の西側、林の中の塚が馬絹古墳である。周囲の紫陽花が美しい。径33mの円墳、7世紀後半築造と推定。全長9.6mと大型で複室構造の切石積横穴式石室をもつ。ここも県の史跡に指定されている。
 馬絹古墳から坂を下ると、左手に馬絹神社が鎮座している。元禄年間(1688-
1704)以前に伊邪那美(いざなみ)命を祀る女体権現社として創建、武蔵国橘樹(たちばな)郡馬絹村の鎮守であった。明治43年(1910)に近隣4社を併合し明神神社と改称、昭和61年(1986)現社名に再改称した。馬絹神社参道の石段を下ると武蔵野貨物線、梶ヶ谷貨物ターミナルの北西に出る。貨物線の高架を潜り、やや行けば尻手黒川道路、馬絹神社前バス停がある。そこから川崎市バス11系・宮前平駅行に乗り終点で下車。東急田園都市線に乗換え江田駅に向かう。

b0623-7 西福寺古墳

b0623-8 馬絹古墳・神社社殿

5.江田駅~八雲神社
 江田駅西口から北への緩い坂を上る。4~5分程で赤田西公園がある。面積はかなり広いが中央の大部分は増水時の調整池で占められている。公園の南西端に赤田2号墳がある。径20mの円墳、6世紀後半築造と推定。石室が露出する形で復元されている。当地一帯には他に同年代築造と推定される円墳3基、南側斜面に横穴墓があったが、現状は消滅している。
 赤田西公園の西側には慶應義塾横浜初等部がある。広大な敷地の南側を西に歩き、さらに南に向えば公園がある。小黒(こぐろ)公園、青葉区荏田北の宅地開発に伴い設置された近隣公園。起伏ある地形を活かし、緑が多く、散策路や芝生広場も充実しており、桜の名所でもあるという。
 公園を抜け、坂を下ると林が見えてくる。このあたりに市ヶ尾横穴墓群がある。見晴らしが良い階段を降りて、南に進めば入口がある。市ヶ尾横穴墓群は6世紀後半~7世紀後半築造と推定。北側のA群12基、南側のB群9基が確認されている。横穴墓はガラス壁で密閉されているものと、構築時を思わせる開放されているものとがあった。副葬品から有力な農民の墓と推定されている。
 市ヶ尾横穴墓群の西、急な坂を下り、南に向えば徒歩約5分で八雲神社への南参道に至る。八雲神社は創建年代不詳、江戸時代は牛頭天王社と呼ばれた。明治時代に現社名に改称、都筑(つづき)郡市ヶ尾村の鎮守として崇敬された。

b0623-9 赤田2号墳-小黒公園

b0623-10 横穴墓群-八雲神社

6. 稲荷前古墳群~市が尾駅
 八雲神社の参道を南西に下れば信号がある。横浜上麻生道路との上市ヶ尾交差点だ。ここで右折、横浜上麻生道路を北西に歩く。約10分、左手に横浜市水道局青葉事務所の庁舎が見えてくる。その先、右側に県指定史跡・稲荷前古墳群入口の案内板がある。右手は小高い丘、竹林交りの雑木林だ。
 階段と通路を5分ほど登る。稲荷前古墳群が見えてくる。この一滞に古墳10基と横穴墓3基が確認されたが、古墳3基が保存され、他は消滅した。主墳は稲荷前16号墳、全長38m、県内最古の前方後方墳、4世紀後半築造と推定。墳頂に登れば当地が尾根筋にあることがよく分かる。両側の眺望が良い。その南側に稲荷前15号墳、辺12mの方墳がある。やや離れて北側に稲荷前17号墳、規模不詳の方墳、いずれも16号より後の年代に築造と推定されている。
 通路と石段を降りれば東急バスと小田急バスの共同運行・柿23系・市が尾駅行他のバス停・水道局青葉事務所前がある。しばし待てば市が尾駅行の東急バスが来た。乗車し、市が尾駅の手前、緑県税事務所バス停で下車。徒歩数分、駅前商店街の中華料理店・兼六飯店へ。店頭の暖簾が裏返っていたのでいぶかしんだが店内は明るい。入れば営業中とのこと。ここで夕食、本日の締め。帰り際に女将に暖簾のことを尋ねたら、単純ミスとのこと。早速、直しておられた。

b0623-11 稲荷前古墳群

b0623-12 兼六飯店

所 感
 今年、関東地方は6月7日に梅雨入りした。当日も雨を心配したが、好天に恵まれた。日差しは相当強かったが、猛暑には至らず、安堵した。それでも、締めの生ビールの旨さを引き立ててくれるには、充分であった。
 今回のコースは前半が東京都多摩地区府中市、後半は神奈川県川崎市高津区・宮前区、横浜市青葉区であった。前半は史跡指定の古墳の整備の良さが目に付いた。それに対し、後半は指定史跡の古墳には立派な案内板があったものの、メンテナンスが不十分で、汚れ・読みにくさが目立ち、周辺の整備も今一つの感があった。指定された年代には熱心に整備されたが、年を経てそれが薄れていったのだろうか。神奈川県民として奮起を促したい。      (幹事・柳沢記)




  

旅たび倶楽部 第47回部録

2017.05.31.07:15

埼玉県熊谷市 新緑の古墳群を巡る

2017年5月24日(水) 曇り  

 行田市や高崎市ほど著名ではないが、熊谷市にも古墳群がある。市内北西部の秩父鉄道沿線北側と、市内南東部の国際十王バス・熊谷駅~東松山駅の路線沿い、東松山市との市境付近に分布している。ともに、100m超の大型古墳は見られないが、北西部には全国的に希少な上円下方墳として国の史跡に指定されている宮塚古墳があり、南東部には比較的原形を留める70m級の前方後円墳・とうかん山古墳がある。今回は新緑の中、熊谷市の古墳群を巡った。

参加者: 野崎芳信、柳沢道生、岩瀬 翠(ひろせ野鳥の森駅まで)

集合写真: 熊谷市箕輪、とうかん山古墳墳頂にて

b0524-0 とうかん山-集合
  
1.石原古墳群
 10時25分、熊谷駅南口に集合。タクシーで熊谷市石原の真宗寺付近に。この一帯に石原古墳群が分布している。当地はかつて石原百塚・四十八塚などと呼ばれ、明治初期には三十六塚があったと伝わるが、現状は8基のみが残るという。住宅地の一角、空地に古墳が2基ある。南側に石原4号墳、径18mの円墳。北側に石原5号墳、全長34mの前方後円墳である。そこから西に徒歩3分、太平洋セメント熊谷寮の駐車場に整備された円墳がある。石原1号墳、径18mである。
 北に徒歩3分、国道140号を渡れば臨済宗妙心寺派の寺院、法雲山東漸寺がある。江戸初期創建と伝わる。墓地に円墳が2基残る。墓地東側に石原14号墳、径20m。中程に石原15号墳、墳丘が削られ痕跡が残る。規模不詳。
 墓地の北側、畑の中にこんもりとした緑が見える。おとうか山古墳、径27mの円墳である。あぜ道から公道に出て徒歩5分ほど。アプローチが難しい。

b0524-1 石原4・5号墳

b0524-2 石原1・14号墳

b0524-3 石原15号・とうかん山古墳

2. 広瀬古墳群
 石原古墳群の西方に分布しているのが広瀬古墳群である。おとうか山古墳から西に徒歩3分、南に徒歩2分ほどで富士浅間神社が見えてくる。この境内に広瀬11号墳がある。径15mの円墳だ。そこから水路沿いの小路を3分ほど歩けば畑の中に小さな円墳がある。広瀬10号墳、径6m、墳頂に祠が祀られている。
 住宅地の中の道を北~西~南と進み国道140号に出ればすぐに円通寺が見えてくる。その前の小路を西に進み、県道335号に出て北に進めば、左手に山王塚古墳、別称広瀬4号墳がある。径25mの円墳、6世紀後半~7世紀の築造と推定。墳頂には山王社の祠が祀られている。
 山王塚古墳の西側に宮塚古墳がある。上円下方墳で下方部は辺19-20m、上円部は径8m、7世紀末の築造と推定。国の史跡に指定されている。下方部を1周する遊歩道があり、上円部の構造がよくわかる。
 宮塚古墳の西側に円墳2基が並んでいる。手前が広瀬1号墳、墳丘の大半が削平されている。奥に広瀬2号墳、緑とともに墳丘が残る。共に規模不詳。
 広瀬1・2号墳の南側、国道140号に出て東に歩く。運動公園前交差点から県道385号を南に歩けば、洋食レストラン・學(まなぶ)の瀟洒な店舗がある。ここで昼食。なかなかの繁盛店、期待に違わぬ洋食の味であった。

b0524-4 広瀬11・10号墳

b0524-5 山王塚・宮塚古墳

b0524-6 広瀬1・2号墳・學

3.明戸駅~龍泉寺
 レストラン・學から徒歩7分ほどで秩父鉄道・ひろせ野鳥の森駅へ。ここで岩瀬さんは帰路に。残り2名は三峰口駅行きの電車で2つ目の駅、明戸へ。明戸駅から北~北東に歩く。この一帯は深谷市瀬山地区である。駅から徒歩7分ほどで瀬山八幡神社がある。創建年代不詳。当地の鎮守。毎年10月に催される屋台囃子・庭場の儀は市無形文化財に指定されている。
 北に歩き、水路を渡れば熊谷市三ヶ尻(みかじり)地区に入る。すぐ先に国道140号、渡れば踏鞴(たたら)薬師堂がある。東側にある観音山は古くは鉄山と呼ばれ、露天掘りの跡が残るという。お堂に掲げられた扁額を見れば第二十九代式守伊之介とある。どんなご縁があったのだろう。
 東に数分歩けば、やねや塚古墳がある。径23mの円墳で、上越新幹線建設に伴う発掘調査の後、当地に移築・復元された。6世紀後半築造と推定。
 そこから北に歩けば秩父鉄道の貨物線がある、主な貨物はセメントである。線路に沿って北東に進むと右手に二子山古墳が見えてくる。全長55mの前方後円墳、6世紀頃築造と推定。前方部は貨物線建設でかなり損壊している。
 南側に見える観音山を東側から迂回すれば、真言宗豊山派の寺院、少間山龍泉寺がある。通称・三ヶ尻観音、境内の観音堂にお詣りし、観音山に登る。

b0524-7 八幡神社・薬師堂

b0524-8 やねや塚・二子山古墳

b0524-9 龍泉寺・観音山

4.五反林1号墳~阿諏訪野古墳 
 龍泉寺からタクシーで秩父鉄道大麻生駅へ。そこから秩父鉄道で熊谷駅へ。熊谷駅北口から国際十王バス・東松山駅行きで約20分、東松山病院で下車。
 このあたりは東松山市岡地区である。畑の中の道を5分ほど進めば五反林1号墳がある。3基の円墳で構成された五反林古墳群の内、残存1基、径20m。
 さらに畑の中の道を東~南~東に進む。徒歩約7分、熊谷市箕輪地区に入る。大きな空地に小高い塚が横たわっている。とうかん山古墳、全長74mの前方後円墳、6世紀中頃の築造と推定。前方部上に金毘羅社の祠が祀られている。原型をよく留めており、県の史跡に指定されている。
 東に徒歩約5分、曹洞宗の寺院、箕甲山保安寺がある。慶長18年(1613)創建、境内には80種・1300本の紫陽花があり、あじさい寺として知られる。
 保安寺から南に進む。県道307号を渡り、東に曲がれば阿諏訪野古墳がある。径18mの円墳、築造年代は不詳である。

b0524-10 五反林1号・とうかん山古墳

b0524-11 保安寺・阿諏訪野古墳

5. 楓山古墳~東松山駅界隈
 阿諏訪野古墳から南に徒歩5分ほど。畑の中にマウンド状の土塊がある。前方後円墳、楓山古墳の墳丘の一部。現状の規模は東西9m、南北11m、5世紀末~6世紀前半の築造と推定。原型の規模は不詳である。
 さらに南に歩く。西側に小高い森が遠望できる。径90mの円墳、甲山古墳である。6世紀第3四半期の築造と推定、円墳として全国で第4、県内ではさきたま古墳群丸墓古墳に次いで第2の規模である。
 西に下る坂を降り、甲山古墳を目指す。行く手左側に発掘現場とおぼしき箇所があった。近づいてみれば、「ただいま堅木岡(かたぎおか)東遺跡の発掘中です」との案内板。作業の人はいなかった。新たな発見があるといいが。
 さらに西に進み、県道257号、国道407号を横切れば、冑山(かぶとやま)神社の鳥居が見えてくる。冑山神社は社記によれば創建は慶長13年(1608)、村人が胄山を発掘し剣・鏡・五躯玉・土偶・土馬などが出土、間もなく村に病がはやり、祟りを鎮めるため頂上に八幡神を祀った。明治初年に現社名に改称された。境内全域は甲山古墳上にあり、墳頂には今も八幡社が鎮座している。その本殿は市の文化財に、冑山古墳は県の史跡に指定されている。
 冑山バス停から、国際十王バス・東松山駅行きに乗り、終点で下車。東松山駅西口に出て徒歩数分の箭弓(やきゅう)稲荷神社へ。そこから北へ徒歩3分ほど、中華厨房・ 紅豚(ホンツー)での宴で今日の締めとした。

b0524-12 楓山古墳・堅木岡東遺跡

b0524-13 甲山古墳・冑山神社

b0524-14 箭弓稲荷・紅豚

所 感
 毎夏、猛暑の名所として知られる熊谷市。この日は曇り空で直射日光を受けることもなく、散策日和であった。石原古墳群、広瀬古墳群とも、住宅地の中に点在した古墳という印象であったが、熊谷市三ヶ尻地区、箕輪・冑山地区とも農地のが主体の地域であった。今回、整備されれば良好な古墳公園となるような地点が散見された。石原4・5号墳、とうかん山古墳などである。特に、後者は県の史跡に指定されているだけに、期待がもてる。      (幹事・柳沢記)


旅たび倶楽部 第46回部録

2017.04.14.20:46

埼玉県行田市 お花見ポタリング 

2017年4月6日(木) 晴れ  

 行田市は二度目。今回は、さきたま古墳公園でのお花見をメインに、行田市内を巡った。予定は市内循環バス利用であったが、JR行田駅前の観光案内所で、電動自転車を500円でレンタルしているとのこと。天候は絶好のお花見日和だ。急遽予定を変更し、行田市お花見・電動ポタリングを楽しむこととした。

参加者: 野崎芳信、岩瀬 翠、柳沢道生

集合写真: さきたま古墳公園、丸墓塚古墳前にて

b0406-0 さきたま古墳公園-集合


1.行田駅前~忍城址
 10時30分過ぎ、行田駅に集合。早着していた岩瀬さんが、観光案内所でレンタサイクル情報を得た。早速、借りることに。帰着は15時30分までとのこと。
 行田駅前から県道135号を一路北東へ。上越新幹線の高架を潜り、行田総合病院手前の交差点で方向変換、北に向かう。城西交差点手前で東側の住宅街に入ると路傍に石碑がある。「忍城十五門の内 持田口門跡」と刻されていた。持田口門は忍城の西の固めであり、ここから東が城内であった。
 国道125号に出て、東に向かうと行田市郷土博物館がある。昭和63年(1978)、忍城本丸跡に開館、このとき三層櫓も再建された。自転車を止め博物館を見学、三層櫓は博物館の分館の扱いで内部に入れる。展望室からの眺めが良い。
 本丸跡一帯は城址公園として整備されている。桜は満開、三層櫓の周囲を巡り桜とお城のコラボレーションを楽しむ。

b0406-1 案内所-持田口門跡

b0406-2 博物館-忍城址

 
2. 水城(すいじょう)公園~埋蔵文化財センター
 忍城址から南下すれば水城公園の北口に出る。水城公園は忍城の外堀跡を整備した水郷公園、湖畔の桜が美しい。何組か、花の下での宴会も。
 水城公園南口から北東に進み、高源寺交差点から県道77号を南東に進む。そろそろ小腹も空いてきた。粋な蕎麦屋があった。そば処新井屋、ここで昼食。次の目的地は行田市埋蔵文化財センター、構内に大日塚古墳がある。住宅地の中にあり、行程がややこしそう。店主に聞いたが今一要領を得ない。
 県道77号をさらに南東に進み、この辺かと住宅地を南下、スマホで現在地を確認しつつ探索すれば、円墳を発見。大日塚古墳だ。径22m、6世紀前半築造と推定、市の文化財に指定。傍らに石塔。かつて墳頂に立っていた大日種子板石塔婆の複製。本物は行田市史料館にあり県の文化財に指定されている。
 隣接する建物が行田市埋蔵文化財センター、女性が3人、埋蔵文化財とおぼしき資料を整理していた。特に展示室はないようだ。新井屋店主の説明が今一つであったことも、これで納得できた。

b0406-3 水城公園-新井屋

b0406-4 大日塚-発掘資料


3.さきたま古墳公園・北側
 県道77号に戻り、また南東に進み、忍川、武蔵水路を超えると広大な、さきたま古墳公園が全面に広がる。満開の桜、平日だが人出もかなり多い。園内の桜並木を進むと前方に丸墓塚古墳。墳長の桜を見に、多くの人が階段を登っている。傍らに自転車を止め、桜の下で集合写真。野崎さんと柳沢は丸墓塚に登る。岩瀬さんは東屋で休憩をとりつつ、桜を鑑賞することに。
 日本一の円墳である丸墓塚古墳の墳頂は、家族やグループ連れで賑わう。眼下に展開する園内の桜も見応えがある。当地が桜の名所として人気があることもうなずける。東側には菜の花が咲いている。芝の緑、桜色、黄色の対比が好い。園内北側の沼地に行けば、アオサギが一羽、佇んていた。身じろぎもせず、と思えば結構頭だけ動かしていた。桜を眺めているわけではなさそうだ。
 園内北側を一巡りし、岩瀬さんと合流、園内南側に向かう。県道77号の手前、愛宕山古墳の上にも桜が数本、まだ若い木だろうがしっかり開花していた。

b0406-5 丸墓塚-桜

b0406-6 アオサギ-愛宕塚


4.さきたま古墳公園・南側~行田駅
 県道77号の右手に和菓子店・金沢屋がある。ここで名物・伊賀饅頭と塩餡ぴんを購入。伊賀饅頭はおはぎで餡を包んだ菓子。塩餡ぴんは、いわば塩大福。
 金沢屋に隣接して前玉(さきたま)神社の石鳥居。参道と境内の桜が美しいが、人はいない。社殿は浅間塚古墳の上、今回は下から参拝。
 前玉神社の南西に、さきたま古墳公園・南側の入口がある。桜が数本、中規模の前方後円墳が点在している。人はいない。奥の山古墳の西側に桜並木かある。案内板を見れば、さきたま緑道とある。ここから鴻巣市赤見台公園まで約4.5kmの間、武蔵水路沿いに緑道が続く。
 さきたま史跡の資料館側の民家園へ。茅葺きの旧遠藤家が保存・公開されている。前回来たときにあった旧山崎家が無い。修理中なのだろうか。
 そろそろ帰ろうか。県道77号を高徳寺交差点まで戻り、南西に一路行田駅へ。途中コンビニでの小休止を含め、3時20分頃、観光案内所に戻った。

b0406-7n 前玉神社-緑道

b0406-7 前玉神社-緑道


所 感
 前回、行田市を巡ったのは2015年11月のこと。前回は古墳と史跡、今回は桜がテーマであった。今年の桜は開花が早い、という情報で元々3月31日催行を考えていたが、寒気到来などもあり、約1週間遅らせたのがよかった。
 電動レンタサイクル利用はその前の例会、2015年10月に埼玉県ときがわ町を巡ったとき。このときは、結構なアップダウンがあり、電動といえどもシンドイ場面もあったが、今回は基本的に平坦であり、晴天微風という好天とあいまって、お花見ポタリングを存分に楽しめた。       (幹事・柳沢記)




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