旅たび倶楽部 第47回部録

2017.05.31.07:15

埼玉県熊谷市 新緑の古墳群を巡る

2017年5月24日(水) 曇り  

 行田市や高崎市ほど著名ではないが、熊谷市にも古墳群がある。市内北西部の秩父鉄道沿線北側と、市内南東部の国際十王バス・熊谷駅~東松山駅の路線沿い、東松山市との市境付近に分布している。ともに、100m超の大型古墳は見られないが、北西部には全国的に希少な上円下方墳として国の史跡に指定されている宮塚古墳があり、南東部には比較的原形を留める70m級の前方後円墳・とうかん山古墳がある。今回は新緑の中、熊谷市の古墳群を巡った。

参加者: 野崎芳信、柳沢道生、岩瀬 翠(ひろせ野鳥の森駅まで)

集合写真: 熊谷市箕輪、とうかん山古墳墳頂にて

b0524-0 とうかん山-集合
  
1.石原古墳群
 10時25分、熊谷駅南口に集合。タクシーで熊谷市石原の真宗寺付近に。この一帯に石原古墳群が分布している。当地はかつて石原百塚・四十八塚などと呼ばれ、明治初期には三十六塚があったと伝わるが、現状は8基のみが残るという。住宅地の一角、空地に古墳が2基ある。南側に石原4号墳、径18mの円墳。北側に石原5号墳、全長34mの前方後円墳である。そこから西に徒歩3分、太平洋セメント熊谷寮の駐車場に整備された円墳がある。石原1号墳、径18mである。
 北に徒歩3分、国道140号を渡れば臨済宗妙心寺派の寺院、法雲山東漸寺がある。江戸初期創建と伝わる。墓地に円墳が2基残る。墓地東側に石原14号墳、径20m。中程に石原15号墳、墳丘が削られ痕跡が残る。規模不詳。
 墓地の北側、畑の中にこんもりとした緑が見える。おとうか山古墳、径27mの円墳である。あぜ道から公道に出て徒歩5分ほど。アプローチが難しい。

b0524-1 石原4・5号墳

b0524-2 石原1・14号墳

b0524-3 石原15号・とうかん山古墳

2. 広瀬古墳群
 石原古墳群の西方に分布しているのが広瀬古墳群である。おとうか山古墳から西に徒歩3分、南に徒歩2分ほどで富士浅間神社が見えてくる。この境内に広瀬11号墳がある。径15mの円墳だ。そこから水路沿いの小路を3分ほど歩けば畑の中に小さな円墳がある。広瀬10号墳、径6m、墳頂に祠が祀られている。
 住宅地の中の道を北~西~南と進み国道140号に出ればすぐに円通寺が見えてくる。その前の小路を西に進み、県道335号に出て北に進めば、左手に山王塚古墳、別称広瀬4号墳がある。径25mの円墳、6世紀後半~7世紀の築造と推定。墳頂には山王社の祠が祀られている。
 山王塚古墳の西側に宮塚古墳がある。上円下方墳で下方部は辺19-20m、上円部は径8m、7世紀末の築造と推定。国の史跡に指定されている。下方部を1周する遊歩道があり、上円部の構造がよくわかる。
 宮塚古墳の西側に円墳2基が並んでいる。手前が広瀬1号墳、墳丘の大半が削平されている。奥に広瀬2号墳、緑とともに墳丘が残る。共に規模不詳。
 広瀬1・2号墳の南側、国道140号に出て東に歩く。運動公園前交差点から県道385号を南に歩けば、洋食レストラン・學(まなぶ)の瀟洒な店舗がある。ここで昼食。なかなかの繁盛店、期待に違わぬ洋食の味であった。

b0524-4 広瀬11・10号墳

b0524-5 山王塚・宮塚古墳

b0524-6 広瀬1・2号墳・學

3.明戸駅~龍泉寺
 レストラン・學から徒歩7分ほどで秩父鉄道・ひろせ野鳥の森駅へ。ここで岩瀬さんは帰路に。残り2名は三峰口駅行きの電車で2つ目の駅、明戸へ。明戸駅から北~北東に歩く。この一帯は深谷市瀬山地区である。駅から徒歩7分ほどで瀬山八幡神社がある。創建年代不詳。当地の鎮守。毎年10月に催される屋台囃子・庭場の儀は市無形文化財に指定されている。
 北に歩き、水路を渡れば熊谷市三ヶ尻(みかじり)地区に入る。すぐ先に国道140号、渡れば踏鞴(たたら)薬師堂がある。東側にある観音山は古くは鉄山と呼ばれ、露天掘りの跡が残るという。お堂に掲げられた扁額を見れば第二十九代式守伊之介とある。どんなご縁があったのだろう。
 東に数分歩けば、やねや塚古墳がある。径23mの円墳で、上越新幹線建設に伴う発掘調査の後、当地に移築・復元された。6世紀後半築造と推定。
 そこから北に歩けば秩父鉄道の貨物線がある、主な貨物はセメントである。線路に沿って北東に進むと右手に二子山古墳が見えてくる。全長55mの前方後円墳、6世紀頃築造と推定。前方部は貨物線建設でかなり損壊している。
 南側に見える観音山を東側から迂回すれば、真言宗豊山派の寺院、少間山龍泉寺がある。通称・三ヶ尻観音、境内の観音堂にお詣りし、観音山に登る。

b0524-7 八幡神社・薬師堂

b0524-8 やねや塚・二子山古墳

b0524-9 龍泉寺・観音山

4.五反林1号墳~阿諏訪野古墳 
 龍泉寺からタクシーで秩父鉄道大麻生駅へ。そこから秩父鉄道で熊谷駅へ。熊谷駅北口から国際十王バス・東松山駅行きで約20分、東松山病院で下車。
 このあたりは東松山市岡地区である。畑の中の道を5分ほど進めば五反林1号墳がある。3基の円墳で構成された五反林古墳群の内、残存1基、径20m。
 さらに畑の中の道を東~南~東に進む。徒歩約7分、熊谷市箕輪地区に入る。大きな空地に小高い塚が横たわっている。とうかん山古墳、全長74mの前方後円墳、6世紀中頃の築造と推定。前方部上に金毘羅社の祠が祀られている。原型をよく留めており、県の史跡に指定されている。
 東に徒歩約5分、曹洞宗の寺院、箕甲山保安寺がある。慶長18年(1613)創建、境内には80種・1300本の紫陽花があり、あじさい寺として知られる。
 保安寺から南に進む。県道307号を渡り、東に曲がれば阿諏訪野古墳がある。径18mの円墳、築造年代は不詳である。

b0524-10 五反林1号・とうかん山古墳

b0524-11 保安寺・阿諏訪野古墳

5. 楓山古墳~東松山駅界隈
 阿諏訪野古墳から南に徒歩5分ほど。畑の中にマウンド状の土塊がある。前方後円墳、楓山古墳の墳丘の一部。現状の規模は東西9m、南北11m、5世紀末~6世紀前半の築造と推定。原型の規模は不詳である。
 さらに南に歩く。西側に小高い森が遠望できる。径90mの円墳、甲山古墳である。6世紀第3四半期の築造と推定、円墳として全国で第4、県内ではさきたま古墳群丸墓古墳に次いで第2の規模である。
 西に下る坂を降り、甲山古墳を目指す。行く手左側に発掘現場とおぼしき箇所があった。近づいてみれば、「ただいま堅木岡(かたぎおか)東遺跡の発掘中です」との案内板。作業の人はいなかった。新たな発見があるといいが。
 さらに西に進み、県道257号、国道407号を横切れば、冑山(かぶとやま)神社の鳥居が見えてくる。冑山神社は社記によれば創建は慶長13年(1608)、村人が胄山を発掘し剣・鏡・五躯玉・土偶・土馬などが出土、間もなく村に病がはやり、祟りを鎮めるため頂上に八幡神を祀った。明治初年に現社名に改称された。境内全域は甲山古墳上にあり、墳頂には今も八幡社が鎮座している。その本殿は市の文化財に、冑山古墳は県の史跡に指定されている。
 冑山バス停から、国際十王バス・東松山駅行きに乗り、終点で下車。東松山駅西口に出て徒歩数分の箭弓(やきゅう)稲荷神社へ。そこから北へ徒歩3分ほど、中華厨房・ 紅豚(ホンツー)での宴で今日の締めとした。

b0524-12 楓山古墳・堅木岡東遺跡

b0524-13 甲山古墳・冑山神社

b0524-14 箭弓稲荷・紅豚

所 感
 毎夏、猛暑の名所として知られる熊谷市。この日は曇り空で直射日光を受けることもなく、散策日和であった。石原古墳群、広瀬古墳群とも、住宅地の中に点在した古墳という印象であったが、熊谷市三ヶ尻地区、箕輪・冑山地区とも農地のが主体の地域であった。今回、整備されれば良好な古墳公園となるような地点が散見された。石原4・5号墳、とうかん山古墳などである。特に、後者は県の史跡に指定されているだけに、期待がもてる。      (幹事・柳沢記)


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旅たび倶楽部 第46回部録

2017.04.14.20:46

埼玉県行田市 お花見ポタリング 

2017年4月6日(木) 晴れ  

 行田市は二度目。今回は、さきたま古墳公園でのお花見をメインに、行田市内を巡った。予定は市内循環バス利用であったが、JR行田駅前の観光案内所で、電動自転車を500円でレンタルしているとのこと。天候は絶好のお花見日和だ。急遽予定を変更し、行田市お花見・電動ポタリングを楽しむこととした。

参加者: 野崎芳信、岩瀬 翠、柳沢道生

集合写真: さきたま古墳公園、丸墓塚古墳前にて

b0406-0 さきたま古墳公園-集合


1.行田駅前~忍城址
 10時30分過ぎ、行田駅に集合。早着していた岩瀬さんが、観光案内所でレンタサイクル情報を得た。早速、借りることに。帰着は15時30分までとのこと。
 行田駅前から県道135号を一路北東へ。上越新幹線の高架を潜り、行田総合病院手前の交差点で方向変換、北に向かう。城西交差点手前で東側の住宅街に入ると路傍に石碑がある。「忍城十五門の内 持田口門跡」と刻されていた。持田口門は忍城の西の固めであり、ここから東が城内であった。
 国道125号に出て、東に向かうと行田市郷土博物館がある。昭和63年(1978)、忍城本丸跡に開館、このとき三層櫓も再建された。自転車を止め博物館を見学、三層櫓は博物館の分館の扱いで内部に入れる。展望室からの眺めが良い。
 本丸跡一帯は城址公園として整備されている。桜は満開、三層櫓の周囲を巡り桜とお城のコラボレーションを楽しむ。

b0406-1 案内所-持田口門跡

b0406-2 博物館-忍城址

 
2. 水城(すいじょう)公園~埋蔵文化財センター
 忍城址から南下すれば水城公園の北口に出る。水城公園は忍城の外堀跡を整備した水郷公園、湖畔の桜が美しい。何組か、花の下での宴会も。
 水城公園南口から北東に進み、高源寺交差点から県道77号を南東に進む。そろそろ小腹も空いてきた。粋な蕎麦屋があった。そば処新井屋、ここで昼食。次の目的地は行田市埋蔵文化財センター、構内に大日塚古墳がある。住宅地の中にあり、行程がややこしそう。店主に聞いたが今一要領を得ない。
 県道77号をさらに南東に進み、この辺かと住宅地を南下、スマホで現在地を確認しつつ探索すれば、円墳を発見。大日塚古墳だ。径22m、6世紀前半築造と推定、市の文化財に指定。傍らに石塔。かつて墳頂に立っていた大日種子板石塔婆の複製。本物は行田市史料館にあり県の文化財に指定されている。
 隣接する建物が行田市埋蔵文化財センター、女性が3人、埋蔵文化財とおぼしき資料を整理していた。特に展示室はないようだ。新井屋店主の説明が今一つであったことも、これで納得できた。

b0406-3 水城公園-新井屋

b0406-4 大日塚-発掘資料


3.さきたま古墳公園・北側
 県道77号に戻り、また南東に進み、忍川、武蔵水路を超えると広大な、さきたま古墳公園が全面に広がる。満開の桜、平日だが人出もかなり多い。園内の桜並木を進むと前方に丸墓塚古墳。墳長の桜を見に、多くの人が階段を登っている。傍らに自転車を止め、桜の下で集合写真。野崎さんと柳沢は丸墓塚に登る。岩瀬さんは東屋で休憩をとりつつ、桜を鑑賞することに。
 日本一の円墳である丸墓塚古墳の墳頂は、家族やグループ連れで賑わう。眼下に展開する園内の桜も見応えがある。当地が桜の名所として人気があることもうなずける。東側には菜の花が咲いている。芝の緑、桜色、黄色の対比が好い。園内北側の沼地に行けば、アオサギが一羽、佇んていた。身じろぎもせず、と思えば結構頭だけ動かしていた。桜を眺めているわけではなさそうだ。
 園内北側を一巡りし、岩瀬さんと合流、園内南側に向かう。県道77号の手前、愛宕山古墳の上にも桜が数本、まだ若い木だろうがしっかり開花していた。

b0406-5 丸墓塚-桜

b0406-6 アオサギ-愛宕塚


4.さきたま古墳公園・南側~行田駅
 県道77号の右手に和菓子店・金沢屋がある。ここで名物・伊賀饅頭と塩餡ぴんを購入。伊賀饅頭はおはぎで餡を包んだ菓子。塩餡ぴんは、いわば塩大福。
 金沢屋に隣接して前玉(さきたま)神社の石鳥居。参道と境内の桜が美しいが、人はいない。社殿は浅間塚古墳の上、今回は下から参拝。
 前玉神社の南西に、さきたま古墳公園・南側の入口がある。桜が数本、中規模の前方後円墳が点在している。人はいない。奥の山古墳の西側に桜並木かある。案内板を見れば、さきたま緑道とある。ここから鴻巣市赤見台公園まで約4.5kmの間、武蔵水路沿いに緑道が続く。
 さきたま史跡の資料館側の民家園へ。茅葺きの旧遠藤家が保存・公開されている。前回来たときにあった旧山崎家が無い。修理中なのだろうか。
 そろそろ帰ろうか。県道77号を高徳寺交差点まで戻り、南西に一路行田駅へ。途中コンビニでの小休止を含め、3時20分頃、観光案内所に戻った。

b0406-7n 前玉神社-緑道

b0406-7 前玉神社-緑道


所 感
 前回、行田市を巡ったのは2015年11月のこと。前回は古墳と史跡、今回は桜がテーマであった。今年の桜は開花が早い、という情報で元々3月31日催行を考えていたが、寒気到来などもあり、約1週間遅らせたのがよかった。
 電動レンタサイクル利用はその前の例会、2015年10月に埼玉県ときがわ町を巡ったとき。このときは、結構なアップダウンがあり、電動といえどもシンドイ場面もあったが、今回は基本的に平坦であり、晴天微風という好天とあいまって、お花見ポタリングを存分に楽しめた。       (幹事・柳沢記)




旅たび倶楽部 第45回部録

2017.02.28.12:42

世田谷区、野毛・喜多見古墳群を巡る

2017年2月22日(水) 曇り  

 今回は世田谷区の古墳群を巡った。まず、東急大井町線沿線・上野毛駅~九品仏駅に分布している野毛古墳群7基と等々力渓谷、そして通称九品仏・九品山浄真寺を訪れた。ハイライトは玉川野毛町公園・野毛古墳群で最大規模を有する野毛大塚古墳、径82mの帆立貝形古墳。同種の古墳として日本最大級である。
 次に、九品仏駅から大井町線で二子玉川駅へ。駅前から東急バス・成城学園前駅行に乗り、次大夫堀公園前で下車。付近に分布する喜多見古墳群4基と、江戸氏ゆかりの慶元寺を訪れた。

参加者: 野崎芳信 、岩瀬 翠(等々力渓谷まで)、柳沢道生

集合写真: 玉川野毛町公園・野毛大塚古墳にて 

b0222-0 野毛大塚古墳-集合n
 
1.五島美術館~上野毛稲荷塚古墳
 10時30分頃、東急大井町線上野毛駅に集合、駅から西から北に徒歩約5分、五島美術館へ。東急創設者・五島慶太の美術コレクションを保存・展示するため、五島の没した翌・昭和35年(1960)、旧五島邸の敷地内に開館した。庭園見学コースは300円、国分寺崖線を利用した高低差のある庭園を散策。庭の一隅に稲荷丸北古墳が保存・展示されている。径20mの円墳、築造年代は不詳である。
 来た道を南に戻り徒歩3分ほど、真言宗智山派の寺院・覚願寺がある。天文年間(1532-55)以前の創建と推定。境内に円墳・稲荷丸古墳があったが、現在は消滅しているという。そこから南に歩くとすぐにカトリック上野毛教会がある。昭和27年(1952)男子跣足(せんそく)カルメル会により設立。中国に派遣されていたイタリアのカルメル会士の宣教師達が大陸を追われ、前年に来日した。
 さらに南に徒歩数分、閑静な住宅地に上野毛稲荷塚古墳の案内板がある。4世紀後半、野毛古墳群の中で最初に築造されたと推定。全長20数mの前方後円墳、前方部は削平されたが、クビレ部から後円部にかけては良好に残る。門には施錠され敷地内に入れないのが残念である。

b0222-1n 五藤美術館

b0222-2 上野毛教会-稲荷塚

2. 玉川野毛町公園~ざいもく屋
 上野毛稲荷塚古墳から東に数分歩くと環状八号線に出る。環八通りを南に進むと前方に第三京浜・玉川ICの交差点、歩道橋を渡ると玉川野毛町公園がある。昭和6年(1931)、目黒蒲田電鉄・現東急により開設された等々力ゴルフ場の一部で、戦時中は高射砲基地となる。戦後に、プール、野球場、テニスコート、遊具などを備えた区立の総合公園として整備された。入口を入れば河津桜が満開、公園の奥に野毛大塚古墳の雄大な姿が見えてくる。円墳に小さな前方部・造出しが付いた帆立貝形古墳、築造年代は5世紀頃と推定。周囲に馬蹄形の濠が巡り、これを含めた全長は104mに及ぶ。遊歩道が整備され墳頂に登れる。墳頂には4重に埋設された主体部の図が展示されていた。
 環八通りを渡り住宅地を北に数分、東に数分歩くと等々力渓谷に架かるゴルフ橋に出る。かつてはここも等々力ゴルフ場の一部であった。そのすぐ北側、大井町線等々力駅前にざいもく屋がある。築約120年、元材木商邸の古民家を改装した中華料理店。敷地内に茅葺きの鈴木家穀倉を保存・展示、区の文化財に指定されている。ここで昼食、ランチ1080円~、銘々お好みをオーダー。

b0222-3 玉川野毛町公園

b0222-4 ざいもく屋

3.等々力渓谷~等々力不動尊
 ゴルフ橋に戻り、等々力渓谷遊歩道への階段を下る。東京23区内唯一の渓谷、谷沢川に沿って遊歩道が南に約1km続く。都の名勝に指定。渓谷の中程、環八通り玉沢橋の先に等々力渓谷3号横穴があり、見学用に整備されている。7世紀に築造と推定、全長約13m、都の史跡に指定されている。岩瀬さんはここまで、遊歩道を戻り、等々力駅から帰路に着く。
 遊歩道をさらに南に歩けば小さなお堂がある。不動の滝である。龍の頭から湧水が流れる2筋の滝。渓谷名の由来となったという轟音は、今は聞こえない。東側の石段を登れば等々力不動尊がある。正式名を滝轟(りゅうごう)山明王院という真言宗智山派の寺院。本尊の不動像は1300年前の作、800年前に興教大師が夢告で武蔵国に不動像を安置する場所を探し、豊富な水量の滝を見て霊地と悟り不動堂を創建と伝わる。関東三十六不動尊霊場の第17番である。

b0222-5 等々力渓谷

b0222-6 等々力不動

4.御岳山古墳~宇佐神社
 等々力不動尊の門前、都道312号の向いに小高い緑の丘が見える。御岳山(みたけやま)古墳、野毛古墳群で野毛大塚古墳に次ぐ規模、全長54mの帆立貝形古墳である。5世紀中頃築造と推定。都の史跡に指定されている。 
 御岳山古墳から等々力一丁目の住宅街を東に歩く。途中、階段を降り、坂を登れば住宅地の一角に台地状の公園、狐塚古墳である。径40mの円墳、5世紀後期の築造と推定。墳頂に墳名の由来となった稲荷社社殿の土台が残る。
 南から東に7~8分歩けば宇佐神社がある。永承6年(1051)前九年の役に出陣した源頼義が当地に布陣し戦勝を祈願、乱の平定後・康平5年(1063)当地に八幡社が創建されたと伝わる。元禄12年(1699)に社殿を再建。社殿の東側に八幡塚古墳・径30mの円墳がある、5世紀中期の築造と推定されている。

b0222-7 御岳山-狐塚

b0222-8 宇佐神社

5.寮の坂~九品仏
 宇佐神社東側、環八通りに至る坂を登る。中程に寮の坂と刻された石碑と案内板がある。宇佐神社の南にある傳乗寺は室町時代創建と伝わる古刹で、かつてこの坂の脇に傳乗寺の僧侶の学寮があったことが名の由来とある。
 環八通りを東に数分歩けば九品仏商店街の南側に出る。元々、九品仏と通称された浄真寺の門前町であり、50年以上の歴史を持つ。商店街を北に歩き、大井町線九品仏駅近くの珈琲専門店・コンパスコーヒーで小休止する。
 九品仏駅前の踏切を渡れば、九品山浄真寺の参道である。小田原落城後に廃城された奥沢城跡に延宝6年(1678)創建。境内奥の中品・上品・下品の三阿弥陀堂に各上生・中生・下生の三体、計九体の印相の異なる阿弥陀如来像が極楽往生の九階層・九品往生を表わす。この九品の仏から浄真寺は九品仏と通称された。境内の大イチョウ、大カヤは都の天然記念物、土塁などに痕跡を残す奥沢城跡は区の史跡、仁王門は区の文化財に指定されている。九体の阿弥陀如来像は平成の改修中、下品上生阿弥陀如来像が修復に出されていた。

b0222-9 浄真寺①

b0222-10 浄真寺②

6.喜多見古墳群
 九品仏駅から大井町線に乗り、二子玉川駅で下車。駅前から東急バス成城学園前駅行に乗り約20分、次大夫堀公園前で下車する。次大夫堀公園は2013年2月23日、第13回部会で訪れた。今回は園内を歩き南に向かう。住宅地の中の道は昔の農道のまま。結構ややこしい。多分このあたりと進めば小公園がある。喜多見古墳群・世田谷区西部、喜多見地区の多摩川左岸台地上に分布する古墳の一つ、喜多見稲荷塚古墳である。径13mの円墳、7世紀頃の築造と推定。周囲は古墳公園として整備され、区の史跡に指定されている。
 次に慶元寺に向かう。山号は永劫山、江戸太郎重長が江戸城紅葉山に天台宗・東福寺として文治2年(1186)創建、応仁2年(1468)当地へ移転。天文19年(1540)浄土宗に改宗した。喜多見稲荷塚古墳近くの案内板の地図を元にアプローチしたが、寺院の北側に出て入口がない。かなり大回りして参道に。境内に喜多見古墳群の一支群・慶元寺古墳群の1号墳が残る。奥の庭園に三基の古墳が残るが公開は正月と彼岸中日のみ。墓地の向こうに三重塔が見える。高さ16m、平成5年(1993)建立と比較的新しいものだ。
 慶元寺門前を東に歩けば、すぐに小さな神社、その南側に竹藪がある。これが第六天塚古墳、径29mの円墳・5世紀末~6世紀初頭の築造と推定。神社は須賀神社、承応年間(1652-54の創建と伝わり、社殿は天神塚古墳、径16~7mの円墳上に鎮座している。次大夫堀公園前バス停に戻り、東急バスで成城学園前駅に。南口近くの焼き鳥・ゴキゲン家で夕食、本日の締めとした。

b0222-11 喜多見稲荷塚-慶元寺①

b0222-12 慶元寺②

b0222-13 第六天塚-須賀神社

所 感
 前回訪れた多摩川台公園の古墳展示室に、概ね大田区に分布している田園調布古墳群と、概ね世田谷区に分布している野毛古墳群から、荏原台古墳群が構成されていることが示されていた。今回は、大田区の続編として世田谷区の古墳を巡った。野毛古墳群のほぼ中間に等々力渓谷があり、散策コースとして良いアクセントとなった。喜多見古墳群については、前回、次太夫堀公園訪問時には古墳という観点がなかったため、今回新たに巡ることとなった。ここも、いわば重層的な史跡で興味深い。ただし、元農道のややこしい道にはいささか閉口させられたが。                       (幹事・柳沢記)





旅たび倶楽部 第44回部録

2017.01.19.14:19

新春 大田区の古墳群を巡る

2017年1月15日(日) 晴れ  

 新春初歩きとして、大田区の古墳群を巡った。田園調布西側、多摩川沿いにある多摩川台公園には全長100m級の前方後円墳2基、中規模の前方後円墳1基と円墳7基が並ぶ都内最大の古墳群がある。その南の浅間神社古墳、六郷上水沿いに三基の円墳、池上線雪谷大塚駅近くに鵜ノ木大塚古墳がある。池上線で久が原駅に出て西に、鵜ノ木松山公園の横穴墓、その近くの民家に残る円墳、昭和のくらし博物館を経て、光明寺境内の円墳を巡り、池上線で千鳥町駅から蓮沼駅へ。女塚神社境内の円墳を見て、蒲田駅へ。アーケード商店街の歓迎(ホアンヨン)蒲田西口店で羽根つき餃子などの夕食を楽しんだ。

参加者; 柳沢道生、岩瀬 翠(多摩川駅まで)、野崎芳信

集合写真: 多摩川台公園、亀甲山(かめのこやま)古墳にて 

b0115-0 亀甲山-集合

1. 田園調布駅~宝来山公園
 10時過ぎ゙、東急線田園調布駅に集合、西口のモダンレトロな初代駅舎がランドマークになっている。駅前広場から街路が放射状に延びている。電線地中化ですっきりした景観、一戸の区画は広く保たれ緑で区切られている。なだらかな高低差も、街に心地よいアクセントとなっている。
 南西へ、緩やかな坂を進む。とあるお宅の前に抽象画が数点掲げられ、ガレージ・ギャラリーとなっていた。これも田園調布らしさか。徒歩数分で宝来山公園に着く。田園調布住民の組織㈳田園調布会が大正14年(1925)街の一角・潮見台を広場に整備、昭和9年(1934)東京市に寄贈、造園工事の後昭和19年(1944)開園、戦後大田区に移管された。大田区最古の公園である。
 園内を南に歩く。噴水の水面が凍っていた。当日朝の寒さがうかがえる。東南の出口の先に教会がある。プロテスタント系の日本基督教団 田園調布教会、昭和8年(1933)城南福音教会として創立された。園内に戻り斜面を下ると池がある。湧水をたたえた池でここは凍っていない。オシドリの群が遊弋していた。

b0115-1 田園調布

b0115-2 宝来公園

2. 多摩川台公園・多摩川台古墳群
 宝来山公園から南西に進めばすぐに多摩川台公園である。園内に入れば前方に宝来山(ほうらいさん)古墳がある。全長97mの前方後円墳、4世紀後半の築造と推定され、都の史跡に指定されている。その南東、公園北側広場の先に、多摩川台8号墳がある。径17mの円墳である。
 多摩川台公園を南北に区分している谷間を虹橋で超えると、遊歩道の左手に5基の円墳が並ぶ。多摩川台7号墳・径18m、6号墳・径20m、5号墳・径20m、4号墳・径18m,、3号墳・径14mである。そこから小路を隔てて円墳・2号墳・規模不詳、1号墳・前方後円墳・全長39mが並ぶ。
 1号墳の南の道を東に進めば古墳展示室がある。古墳群からの出土品、東国で6世紀に建造された横穴式石室をもつ前方後円古墳後円部の一部を実物大で再現したレプリカなどが展示されている。無料で見学できる。
 来た道を戻り、南に進めば亀甲山古墳がある。全長107mの前方後円墳、5世紀前半の築造と推定、国の史跡に指定されている。ここで集合写真を撮る。 

b0115-3 多摩川台公園①

b0115-4 多摩川台公園②

3.多摩川台浅間神社~多摩川ダイナー
 古墳展示室の先の出口から北に進む。前方に尖塔が見える。カトリック田園調布教会である。 昭和6年(1931)カナダ・フランシスコ会宣教師により創立された。来た道を南下、東急東横線の高架を潜れば、右手に大黒堂がある。名物鮎焼き、鯛焼きの鮎版である。お土産に購入する。
 南に歩けば多摩川台浅間神社の参道がある。武蔵国荏原郡下沼部村には浅間・赤城・熊野の三神社があったが、明治40年(1907)一村一神社令により合祀、浅間神社が村の鎮守となった。境内には多摩川を望む展望台がある。社殿は都内唯一の浅間造で、浅間神社古墳上に鎮座している。浅間神社古墳は全長60mの前方後円墳で5世紀末~6世紀初の築造と推定されている。 
 参詣し、ここで岩瀬さんは多摩川駅から東急多摩川線で蒲田に向かう。残り2名は神社西側へ。屋上が多摩川台浅間神社の駐車場になっている浅間ビルにあるカフェダイニング・多摩川ダイナーへ。二階席を希望すると準備中とのことで、しばし待つ。外階段を登ってオープン直後の室内へ。多摩川と鉄橋を渡る東横線などの電車の眺めが好い。昼食にはキーマカレーセットをオーダー。

b0115-5 教会-浅間神社古墳

b0115-6 浅間神社社殿-多摩川ダイナー

4.六郷用水~鵜ノ木大塚古墳
 多摩川駅南側の多摩川線踏切を渡り、線路沿いを南下、中原街道の高架を潜る。道路の東側に水路、復原された六郷用水だ。2013年2月23日(土)、第13回例会で通った道だ。水路の東側には雑木林が続く。ここに三基の円墳がある。荏原台古墳群の西岡50、52、53号墳である。名称は発掘調査を行った西岡秀雄・慶大名誉教授・大田区立郷土資料館元館長に由来する。50号が径32m、52・53号は規模不詳。接近方法がなく、明確な観察は難しい。
 水路に足踏み水車・ジャバラが復元されている。その先に、真言宗智山派の寺院・有慶山東光院がある。文禄3年(1594)に没した義賢和尚の創建と伝わる。玉川八十八ヶ所霊場55番である。門前の通りは旧中原街道だ。
 旧中原街道を北に歩く。最初の交差点が「さくら坂」である。福山雅治の代表曲のテーマとして著名となった。古くは沼部の大坂と呼ばれた。大正12年(1923)の改修工事で切通しとなり、昭和5年(1930)桜を植樹、桜の名所となった。
 旧中原街道をさらに進めば、田園調布警察署前交差点に出る。中原街道と環八通りが交わる。中原街道を東に、最初の路地を左折、徒歩数分で神社がある。雪谷大塚稲荷神社、社殿は鵜ノ木大塚古墳上に鎮座している。径27mの円墳、当地がかつて鵜ノ木領の飛地であったことが墳名の由来である。

b0115-7 六郷用水-.東光院jpg

b0115-8 さくら坂-鵜ノ木大塚古墳

5.嶺白山神社~鵜ノ木八幡宮
 雪谷大塚稲荷神社から東に徒歩約5分、雪谷大塚駅へ。東急池上線で蒲田方向へ2駅、久が原駅で下車。駅前商店街を西に歩けば、環八通り沿いに嶺白山神社がある。寛文年間(1661-72)に女体権現社として創建、 明治初年、現社名に改称。古くから当地の氏神として崇敬された。
 環八通りを渡るとかなり高低差のある住宅地、西に数分歩けば鵜ノ木松山公園がある。低位置にある入口から見上げる公園はなるほど松山にふさわしい。ここに鵜ノ木一丁目横穴墓群の1基が保存されている。6世紀末~8世紀前半の築造と推定される横穴墓群である。しかし、公園入口に案内板もなく、よくわからない。公園中を探しまわり、ようやく南出口付近で発見できた。横穴はガラスで保護され、内部はライトで照らされている。
 鵜ノ木松山公園の南、住宅地の中の民家の際先に鵜ノ木一丁目15番古墳・径17mの円墳がある。墳頂に小さな祠。ここも探索に苦労した。
 真言宗智山派の寺院、増明院の門前で環八通りを渡り、坂を登れば鵜ノ木八幡宮、永徳元年(1489)創建と伝わる。境内の紅梅は、いちはやく開花していた。神社前の道は昔の筏道、奥多摩から筏を組んで多摩川で木材を運んだ筏師が、仕事を終え徒歩で帰ったルートであったという。

b0115-9 嶺白山神社-鵜ノ木一丁目横穴墓

b0115-10 鵜ノ木1-15古墳-鵜ノ木八幡神社jpg

6.昭和のくらし博物館~光明寺荒塚古墳
 神社前の筏道を南に歩くと傍に小鳥居、道祖神、当地の俗称はおしゃもじ様。道祖神は路傍の神、村内と村外の境や辻、三叉路などに石碑・石像の形態で祀られる。絵馬代わりのしゃもじが奉納されていた。
 その南に昭和のくらし博物館の案内。入れば木造二階建の民家を改装した博物館がある。終戦直後、東京都の建築技師だった小泉孝が設計し建てた自宅を、長女で生活史研究家の小泉和子・元京都女子大学教授が、昭和20〜30年代の庶民の暮らしを後世まで伝える目的で博物館に改装し、平成11年(1999)に開館した。隣接して、画家・吉井忠の部屋が開設されて、彼の作品が展示されている。
 両館を見学し、西への坂を降りれば環八通りに出る。信号を渡り、通りを南東に歩けば光明寺の山門に出る。山号は大宝山、天平年間(729-49)行基が開創、弘仁年間(810-24)空海が再興し、寛喜年間(1229-32)浄土宗に改宗したと伝わる。本堂右手の石段を登ると綺麗に整備された円墳が見える。光明寺荒塚古墳、径23m、元は2号墳もあったが現在は削平されているという。

b0115-11 道祖神-昭和のくらし博物館

b0115-12 光明寺

7.女塚古墳~蒲田駅西口・歓迎
 光明寺山門から環八通り、藤森稲荷前交差点を渡り東へ。徒歩7分ほどで千鳥町駅に出る。池上線で蒲田方向に2駅、蓮沼駅で下車する。
 駅から東~北東方向に徒歩約7分、相生小学校の南側に女塚神社が鎮座している。南北朝時代(1336-92)に八幡社として現・蒲田駅付近に創建。明治21年(1889)当地に遷座、現社名に改称した。社殿左に円墳・女塚古墳があり、墳頂に白山明神が祀られている。傍らの石碑に「女塚古墳の由緒」として「南北朝時代の烈士新田義貞の子義興憤死のおり、侍女であった少将局が忠節を尽くしてともに害されたのを村民が憐み、この地に祀ると伝えています」と刻されている。
 女塚神社から東進、南下、東進すること約5分、右手に全面が魚形窓のユニークなビルが見えてくる、蒲田シオン・キリスト教会。プロテスタント・ホーリネス系福音派初の蒲田賜恩教会として昭和9年(1934)に創立された。
 教会から南下し、蒲田駅前アーケード商店街へ。お目当ての歓迎・西口店には予定よりかなり早着、開店の17時まで間がある、日も暮れうすら寒くなってきた。開いていた北の国酒場に入り、晩酌セットで時を待つ。17時も過ぎ、歓迎へ。何と一階席はすでに満杯。幸い二階席はまだ余裕があり、名物・羽付き餃子をはじめとする点心と中国料理を、紹興酒ロックとともに堪能した。

b0115-13 女塚-シオン教会

b0115-14 歓迎

所 感
 今回も懸念は天候であった。今季最大の寒波到来、全国的に豪雪が警告されていた。前日、天気図を見れば関東地方を除き、北日本はもとより、西日本全域まで、白い雪の表示であった、川崎市北部も、降雪はなかったものの、強い北風が吹き、冷え冷えとしていた。当日は晴れ、風を気にしつつ外に出れば微風、体感温度は前日比5度は上回っていただろう。田園調布駅で岩瀬さん曰く、出がけの坂戸市では風花が舞っていたそうだ。ここからは、想定しにくい。この日、幸いにも天候が崩れることはなく、充実した初歩きが楽しめた。 (幹事・柳沢記)
 















旅たび倶楽部 第43回部録

2016.12.30.14:40

東松山市・高坂地区の古墳群を巡る

2016年12月20日(火) 晴れ  

 今回のコースは、元々11月24日(木)に予定していた。しかし、当日は時ならぬ降雪、観測史上初めて、11月に東京で積雪が観測されたという天候に見舞われ、開催を12月に延期した。場所は東武東上線、坂戸駅の二つ北側、高坂駅周辺の古墳群を巡る行程である。全長100m超級の前方後円墳・野本将軍塚古墳は著名であるが、調べて見れば街中に多くの古墳が点在していた。

参加者; 柳沢道生、野崎芳信、岩瀬 翠(高坂駅西口から)

集合写真: 野本将軍塚古墳にて

b1220-0 野本将軍塚古墳-集合

1. 高坂古墳群-南
 10時、東武東上線高坂駅に集合、東口に出る。高坂駅西口は住宅地の玄関口として整備されているが、こちらは造成中の新興住宅地といった印象。駅徒歩数分内にまだ空地も散見される。始めに、高坂古墳群を巡る。東松山市南部、高坂駅の東側、高坂台地の北東に分布している。
まず南へ、徒歩3分ほどで行く手に小高い緑が見える。拂田稲荷神社、天文3年(1534)創建の古社。拂田稲荷神社古墳・別称高坂13号墳、径30mの円墳上に鎮座している。お参りし、東に歩くと前方に高坂小学校がある。南下し、高坂小南側を東に進む。数分で左手に緑の塊、高坂12号墳、径13mの円墳である。
 東に数分歩き、北に折れると畑地の中に円墳がある。高坂11号墳・規模不詳。その東側、林の中にもう一つの円墳、高坂10号墳・径13mがある。そこから北に5分ほどで県道212号に出ると鳥居が見える。平安時代創建と伝わり当地の鎮守として崇敬されてきた高坂神社、境内に高坂神社古墳・別称高坂9号墳、円墳・規模不詳がある。さらに北に進むと5分ほどで天台宗の寺院・東光院がある。その東南、民家の庭に高坂6号墳、円墳・規模不詳がある。
 拂田稲荷神社古墳から高坂神社古墳までは高坂駅の南東にあたる。

b1220-1 拂田稲荷-高坂12

b1220-2 高坂11-10

b1220-3 高坂神社-高坂6

2. 高坂古墳群-北
 東光院の北側に高坂駅東口に至るバス通りがある。それを渡った北側、畑や造成地に囲まれて円墳、高坂5号墳・径14mがある。そこから西に進むと数分で県道344号に出る。県道沿いのたんぽぽ歯科、その北側の空地で遺跡の発掘現場に出くわした。戻ってから調べて見ると、東松山都市計画事業高坂駅東口第一土地区画整理事業に伴う遺跡調査、どうやら高坂二番町西遺跡のようだ。東松山市の資料によれば、発掘調査は12月に終了、古墳石室2基、住居跡2軒、溝 53 条、土坑 68 基、柱穴 345 基が確認されたという。
 たんぽぽ歯科の東側、県道を渡った先に緑の塊、高坂3号墳・径13mがある。県道を北に数分、東に数分歩くと寺院がある。曹洞宗の寺院・高済寺である。西側に土塁がある。当地には中世・高坂氏、江戸期・加賀爪氏の館が置かれた。土塁はその遺構だが、北側一帯は円墳であり、土塁はそれを利用したものだという。高済寺古墳・別称高坂1号墳・規模不詳、墳頂に当地一帯の代官を務めた加賀爪氏累代墓所があり、県の文化財に指定されている。
 高坂5号墳から高済寺古墳までは高坂駅の北東にあたる。

b1220-4 高坂5-発掘現場

b1220-5 高坂3-高済寺古墳

b1220-6 高済寺

3.毛塚古墳群
 高済寺から西へ、東武東上線の踏切を渡り、広大な都幾川河川敷の西側、堤防上の道を進む。この一帯に諏訪山古墳群があるはず、それらしき場所をあちこち探索するもよく分からない。後になって見れば、曲がるべき地点が大分手前だったようだ。時間もかなりロスし、南に向かうこととする。
 高坂駅西口から伸びるバス通りに出て、予定していた食堂に向うが、あいにく定休日、そこで今度は通りの飲食店を探索、インド・ネパール・アジア料理の店・ラシカに入る。インド人とおぼしき店主、内装もインド風。ここでキーマカレーセット・800円を注文。巨大なナンと少々のライスが付く。
 一心地つき、今度は南へ。県道212号を渡り、数分行けば宏仁会高坂病院がある。その駐車場南側に毛塚2号墳、円墳・径23mがある。毛塚古墳群、東松山市南部、高坂駅の南西、高坂台地の南西に分布している。26基が確認されているが、消滅したものも多いという。ここから、南の毛塚20号墳、南東の毛塚1号墳を巡る予定であったが、かなり時間が押していた。予定をショートカットし、北に戻り、最初の交差点を東に進む。東上線跨線橋北側の天神社にお参りし、そのすぐ北側にある稲荷林公園を抜け、高坂駅西口に向かう。

b1220-7 ラシカ-毛塚2

b1220-8 天神社-稲荷林公園

4. 野本古墳群
 14時15分、高坂駅西口で岩瀬さんと待合せ。20分発の東松山市循環バスに乗り約20分、野本市民活動センターで下車。バス停北側に野本将軍塚古墳・別称野本1号墳がある。現状、全長115mの前方後円墳。前方部後円部とも削られ、復元すれば埼玉古墳群・二子山古墳・全長138mを超える可能性があるとされる。後円部には平安中期の武将で、武蔵守等を歴任した藤原利仁を祀る利仁神社が鎮座しており、県の史跡に指定されている。ここで集合写真を撮る。野本古墳群は東松山市南東部、松山台地の東方に分布している。
 野本将軍塚古墳の北側に曹洞宗の寺院・無量寿寺がある。境内の石造八体仏が目をひく。当地は鎌倉時代の領主・野本氏の館跡であり、市の史跡に指定。
 野本将軍塚古墳の南側、県道345号を東に7~8分歩くと、県道南側に東松山市埋蔵文化財センターがある。市内の遺跡の調査・研究を目的に設立。出土品等を1階展示室に展示。事業予定地が埋蔵文化財包蔵地に該当しているかの確認や、県道344号沿いの遺跡発掘調査なども、当館の事業の一環である。
 県道345号をさらに東に、最初の丁字路で北に進めば、左手に径15mの円墳・野本4号墳がある。一帯が緑に覆われ、判別はなかなか難しい。

b1220-9 利仁神社-無量寿寺

b1220-10 資料館-野本4

5.柏崎古墳群~東松山駅
  野本4号墳から北東に進めば国道254号に出る。東に数分で、国道407号との合流点、柏崎交差点がある。そこから東に数分、畑の中におくま山古墳・別称柏崎1号墳・熊野山古墳がある。全長62mの前方後円墳、6世紀前半の築造と推定、墳頂におくま神社が鎮座している。おくま神社とは熊野神社の俗称、市の史跡に指定。柏崎古墳群は東松山市南東部、松山台地東方、野本古墳群の北東に分布している。県の重要遺跡に指定されている。
 おくま山古墳の東方、徒歩数分の畑の中に円墳がある。柏崎3号墳・径13mの円墳である。その北方に大倉工業の工場が広がる。その東側を迂回し工場北側、畑地の中の住宅の一隅に天神山古墳・別称柏崎10号墳がある。全長57mの前方後方墳、4世紀前期~中頃の築造と推定、とのことだが墳丘は殆ど削られ、畑地の区画にその痕跡が推定されるのみ。
 そこから北西に徒歩約10分、曹洞宗の寺院・万松寺があり、本堂西側の墓地に県の天然記念物・万松寺の椎がある。推定樹齢約五百年だが、落雷によりその一部を残すのみ。国道407号を渡り、西側の稲荷塚古墳・別称柏崎13号墳・径36mの円墳[36]、その北西の柏崎15号墳・径17mの円墳を巡り、その北側、国道407号沿いのパークタウン五領バス停から川越観光バスで東松山駅へ。
 東松山駅東口北側の商店街を北に歩く。最初の交差点西側の広場にはイルミネーションが点灯されていた。そのすぐ北側にある魚処・ばなゝやで夕食。色々あった本日の締めとした。

b1220-11 おくま山-柏崎3

b1220-12 万松寺-稲荷塚

b1220-13 イルミ-ばななや

所 感
 11月は大雪、今回も前夜まで雨が降り、天候が思いやられた。当日の予報も曇り時々雨であったが、幸いにして当日は好天に恵まれた。前半戦は思いのほか好調であったが、諏訪山古墳群以降は不満足な結果になってしまった。初めてのコースは、それなりの事前チェックを心掛けているものの、11月に済ませたはずという思いが油断を招いたのかもしれない。本年の歩き納めである。反省とともに、新年への教訓と受けとめたい。            (幹事・柳沢記)










  

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